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ある週末サーファーの記録009 コスタ・ダ・カパリカ 3

 いくつかのポイントをチェックした後、車の横でウェットスーツと海パン一枚にそれぞれ着替えを済ませた私とコリンは、駐車場からビーチに向かった。満面の笑みでたまに奇声を上げながら小走りに海に向かう。どうやら初めてのサーフィンが相当楽しみらしい。そのコリンが右手に抱えるサーフボードは6フィート9インチ(6'9)ほどのボリュームのあるショートボード。オレンジ色に赤の差し色が鮮やかなデザインだった。遡ること3か月前、コリンと同じくスペイン人のロケが私にくれたボードだった。

 ロケは私にとって初めてできた、外国人のサーフィン仲間だった。前年度のリスボンへの留学生だったロケからは、「お前のせいで、大学のキャンパスよりも海に行く方が多かった」と言われるほど一緒にサーフィンに通った。スペイン語で「このヤロウ」とか「馬鹿野郎」という意味の「カブロン(cabron)!」を多用する口の悪い、いつも明るくて楽しい彼が、私に持っていて欲しいとリスボンに置いていったボードだった。

 ロケのボードは初〜中級者向けではあるが、初めてテイクオフをしようとする者にはやや安定感に欠けるサイズだった。特にコリンのように体重の重い者には本来はもっと長く厚いボードが望ましかった。
 「コリンには小さいけど、体験だからまあいいかな・・」
 私は思った。

 砂浜の上でパドリングとテイクオフの練習を何度も繰り返しながら、海の危険についての私からの説明を受けていざ海に向かう。もちろん、秋の海に海パン一枚はコリンだけだ。波打ち際で素足に水がかかる。「ヒヤリ」というには低すぎる水温だ。まずは、パドリングで沖に向かう。私がすぐ横について、ボードの上に腹這いになるコリンのサポートをする。バランスを取るのは難しく、何度かボードからズリ落ちながら、その度にボードの上に這い上がって腹這いのポジションに戻る。

 「両脚は軽く閉じて、胸を反れ!臍でバランスを感じて!」
 私が叫びながら指示を与える。
 「フーフーフー・・!」
 鼻息で応じるコリン。
 何度もボードからずり落ちながら必死に体勢を整えようとする。パワーと気迫は凄まじいものがある。

 なんとか波待ちのポイントまで辿り着く。ボードの先を岸側に向けて「ロケのボード」を押してくれる波を待つ。

 「ボードが走っている感覚を感じたら立てよ。」
 私の言葉が耳に入っているのか入っていないのかコリンから反応はない。集中しているのか、寒さで反応が鈍くなっているのか。

 波が来た。
 「レマ、レマ、レマ!」
 ポルトガル語とスペイン語で「漕ぐ」という意味の命令形を連呼する私。
 力強くパドルするコリン。
 私がボードの後ろの部分を波に合わせて軽く押す。

 「・・・!」 
 ボードが波に押され自走を始める。
 「今だ、立てー!」

 沖側から、たくましい広背筋の盛り上がりを見て、コリンが凄まじい力でボードを押し付けて上半身を引き起こそうとしているのが確認できた。「うおー!」という気合のこもった雄叫びを聞いたような気がした。

 その瞬間、ロケのボードは空中に舞った。コリンは前に突っ込み過ぎてそのまま勢いよく水没。空中に舞ったボードはノーズ(先端)を支点にひらりと宙返りをして着水した。

 水中から「ザバァ!」と出てきたコリンは、目をキラキラと輝かせていた。自分の巨体が波に押されたことに感動したらしい。見事な失敗にも関わらず。

 「コリンはハマるかも・・」

 その後、コリンは何度も繰り返し波に押され、テイクオフの練習をした。私の経験上、サーフィン初日で立ち上がれる人はそれほど多くない。ハワイのワイキキビーチのように初心者にとって最高の条件が揃っているところは別だが、そのような場所は世界にそれほど多くない。案の定、コリンもこの日はボードの上に立つことはできなかった。

 驚いたのは2時間近くトランクス一枚でテイクオフの練習を続けていたことだ。最終的にはその日はテイクオフを諦めたコリンはボードを砂浜に置いて、なぜか水泳を始めた。防波堤の間を左右に何往復もしてようやく上がってきたコリンに私は聞いた。
 「さすがに寒いだろ?」
 「バスクの海はもっと冷たいぜ」
 ニヤリと笑うコリン。鼻水は垂れている。

 カパリカから寮に戻ってきた途端、コリンが聞いてきた。
 「次はいつ行く、センセイ?」
 その日本語はどこかの本か映画で見て知っていたらしい。
 私にとって始めてのスペイン人「セイト」ができた瞬間だった。


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