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ジョニィとマリーのディスタンス

最近、高橋真梨子さんのベスト盤を聴いている。
この人の代表曲を年代順で追っていくと、男性から見下されていた女性の立ち位置がグングン上がっていく様子が見て取れる。

ペドロ&カプリシャス時代の「ジョニィへの伝言」(1973)は、別れの席に来なかった恋人ジョニィへの伝言を彼の友達に託す、という内容。
マリーは2時間も待たされた挙句「割と元気に出ていった」と伝えて欲しいと頼み「根っから陽気に出来てるの」「踊り子だし、次の町に行くわー」と宣言する。(多分それらは嘘なのだろう)
いわば当時の感覚でいうところの「男に捨てられた女の強がりソング」である。
そんなマリーに私は「ヘタレの屑男にはとっとと見切りをつけて新しい出会いを求めて切り替えていこう!マリー!」とエールを送りたくなる。

ペドロ&カプリシャスはその続編を半年後にリリースする。それが「五番街のマリーへ」。上記の事件の数年後、「ジョニィへの伝言」のメッセンジャーと恐らくは同一人物に今度はジョニィがマリーの様子を見てきてと依頼する。
これがもう、住所をおおよそ把握してるだけでもキモいのに「結婚して幸せそうだったらそっとしておいて」「昔悪いことしたから気がかり」とかカッコつけつつ未練たらたらなんである。
こちらは当時の感覚でいうところの「女を捨てた男のわがままソング」である。
こんなジョニィには「てめぇ、一度くらいてめぇで移動して、自分の思いぐらい言葉で伝えてこいよ」と小一時間説教したくなるが、実行したらしたで確実にストーカーになるだろうな、と今の感覚では確信せざるを得ないので余計にモヤモヤする。
別れ話を躊躇い、復縁さえ切り出せないグダグダを当時の愚かな男どもは「面子」を称して正当化していたし、社会もそう受け止めていた。

ああ、キモイ。

何よりキモイのはそんな男の卑屈さを事もあろうに女性に歌わせていた事だ。
でもって、どっちも50万枚の大ヒット。
海外旅行が庶民のレジャーではなく富豪の道楽だった時代に、高橋さんの高い歌唱力が聴く者の想像力を喚起して、ふんわりとした異国情緒を醸してくれる歌として愛聴されたわけだが、現在の感覚で聴き直すと、当時の人々の「ふんわり」の内臓が如何にグロテスクな病変に冒されていたいたかが判明してしまうのである。
ちなみに作詞は共に阿久悠。

「こめんね…」(1996)は1981年から2005年にかけて主婦の暇つぶしの友であり続けた『火曜サスペンス劇場』の15代目主題歌であり、岩崎宏美が歌う初代主題歌「聖母たちのララバイ」に次ぐ大ヒットとなった。(ちなみに『火曜サスペンス劇場ー主題歌集DXー』というCDも女性の意識の変化を追うことが出来るような気がする)
内容は、つい羽目を外して浮気しちゃったけど本当は本当にあなたが好きだから別れたくないという「やっちまった女性の詫び言ソング」。
「好きだったのそれなのに貴方を傷つけた」「悪ふざけで他の人 身を任せた夜に 一晩中待ち続けた貴方の姿 目に浮かぶ」とジョニィより遥かに具体的に反省している。
何よりも「ごめんねの言葉 涙で言えないけど 少しここに居て」と実際対面している!
別離のケジメとして一通り筋が通っている。
マリーは応援したくなるし、ジョニィは絶対許せないけど、この人の事を応援できるか?もしくは許せるか?というのはなかなかに悩ましいラインと言えるだろう。
高橋真梨子さん自身が作詞、作曲したこの歌の売り上げは60万枚を超えた。
媒体がレコードからCDに変わった事もあるが、受け止める側の感覚もほぼ四半世紀を経て大きく変化したという事だろう。

余談だが先ほど挙げた「聖母たちのララバイ」のリリースは1983年。
内容は「それ、生物学的本能じゃなくて社会的役割だろ」と突っ込みたくなる「母性」というあやふやな概念を、虫眼鏡で焼き殺したアリの屍を月面に投影せんとばかりに無駄に拡大解釈したもの。(作詞は山川啓介)
「ああ できるのなら 生まれ変わり あなたの母になって 私のいのちさえ差し出して あなたを守りたいのです この都会(まち)は戦場だから 男はみんな傷を負った戦士」ですよアナタ。
先ほど「聖母たちのララバイ」で検索したら2番目に「気持ち悪い」と候補が出てくるのもそりゃ納得ですわな。
そういえば2000年に全国各地で放射性物質を隠匿していたことが判明した団体の名称が「日本母性文化協会」だったなあ、と無駄に思い出しました。

バブル期までで足踏みしっぱなしの引き籠りジョニィと、「今度のバスで行く 西でも東でも」と強がるマリーの距離は、亀とアキレスのように現在進行形で開き続け、やがて前者の姿は時の流れにかき消されて見えなくなるのだろう。

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