僕は何故こんなに嫌悪感を抱くのか

3連休なか日、仕事もひと段落しました。

さて、誰かからりかっくすがCM出てたね、TVで最近バンバン流れてるっていう話を聞いていたけれど、完全に右から左だった。りかっくすは一応、仲良し(知人程度に)だ。だからどうってわけでもないし、基本見たいアーティストが被ってる時くらいじゃないと会うことはない。この前会ったのは、春頃、M.E.S.Hが来日した時だったかな。問題にしているのはそこではない。

そのCMだった。

今日初めてそのCMを見た。見てしまったんだ。

りかっくすはなんかいつもと同じ僕が知ってるりかっくすだった。

そこはどうでもいい。

「音楽の解放区」

そう銘打たれた都市型フェスティバル。

音楽は誰のもの?

などと、

「音楽」は自分にとってどういうものか

それを音楽ファン(?)であれば知ってるであろう著名アーティスト達が渋谷の街中でひと言ずつ喋っていく。

音楽が自分(そのアーティスト自身)にとってそうであるのか、

音楽がそうであってほしい、そうあるべきだという願い・想いを発言してるのかはわからない。ただ与えられたセリフである可能性も高い。

だがこれは誰に対しての発言なのか?リスナーか?アーティストか?日本の頭の古い業界の人間に対してか?

しかしそこから話は展開する。

「トップチャートだけが正義?」

「女はかわいい歌しか歌っちゃいけないの?」

「金と名誉のため?」

雲行きが怪しくなってきた。

誰に言ってるのだ?これは?この考え自体が前時代的だし、殆どのリスナーは今の時代そんなこと思ってないだろう。

「違う」「違う」「違う」

(『金と名誉のため?』というセリフに一斉に否定が入る)

そして、

「音楽はコンテンツじゃない」

「芸術だ」

このセリフに関しては別に何も思わない。右から左だ。

しかし、そのコンテンツ産業で自分の本業音楽では稼ぎきれない副収入を得ているミュージシャンも大多数だろう、ということは少し思う。

また、僕も少しばかりコンテンツ音楽産業の片隅に足を突っ込み、普段会わない様な人と話す機会も増えてきて大きく感じた事の一つに、そういう産業においても音楽に対して大きな愛を持って制作されている物も沢山あり、このセリフに対しても、前時代的な考えではないかな?と疑ってかかってしまう。(全然右から左してない)

そしてまだ続く

「音楽はマーケティングから生まれない」

これ自体が、redbull自体がマーケティングをしている。このCM自体、マーケティングに基づいて選別、作られたものである。

「音楽は人を選ばない、、、

圧倒的に自由で、、、平等だ!」

そしてまた展開するが、次に続くセリフが

「境界線はない」

、、、、、、、おそらく

僕が過剰なまでに神経を逆なでされたのはこの部分の存在だろう。

音楽は人を選ばない、、、、正しい。

しかし

人は音楽を選ぶ、、、それは当たり前だ。

人は、人を選ぶ。そこに平等なんてない。僕が知る限り東京のシーンは不平等だ。

選ばれた者と、選んだ者達には、圧倒的自由と、平等が与えられるかもしれない。

選ばれる人と、選ばれない人の間には大きな境界線が出来る。(ただの詭弁だ)

また音楽で境界線を作る人間も多くいる。(恐らくこういう人に対してのメッセージなんだろうこのセリフは)

その選ぶ選ばないと境界線の狭間に僕は圧倒的自由なふるまいで存在している。

そのあとりかっくすが登場するが、それ以降僕が特筆すべきポイントはなかった。右から左だ。

大仰なこと言っているが、RBMF自体が大きなコンテンツである。厳格なマーケティングのもと、たいして開放したとも思えない出演アーティストを選別している。特にクラブに関してはいつもと対して変わらないアーティストが名を連ねる。有名ドコロに関しても然りだ。大きなコンテンツがコレをやることによって、シーンの不平等はさらに拡大する。

それと、ちょっと偏ってないですか?セリフとかいろいろ、、、時代も、、

最後に、一応、僕が言うとヘイトだとか老害だとか思うのもいっぱいいると思うのですが、断っておくのは、これは僕が客観的な受けた印象の話です。例えば、これで万が一僕に何かしらのオファーがあったとしたら、僕は出演を快諾するでしょう(ないと思うけど)。それくらいのレベルの話です。ネットに書くと、文句ばっかりが先行しがちなので、敢えてそう付け加えておきます。同調しなきゃいけないみたいな空気が嫌なだけで別に変だと思った事は言ってもいいでしょ?


音楽は、、、、、なんだろ?    愛 でしょうか?



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