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群馬から慶應に往復8時間かけて通ったらめちゃくちゃ病んだ話

 長時間通学と聞くとどれくらいの時間を思い浮かべるでしょうか。

 このnoteを見てくださってる方は、タイトルを見て読もうと思ってくださったことでしょうから、私が往復8時間かけて大学に通っていたことはご承知いただけていることでしょう。


 本題に入る前に、少しだけ私の身の上話にお付き合いください。


 私は群馬で生まれましたが、県外の皆さんが群馬と聞いて想像するような高崎や前橋などの群馬の中では比較的大きな市ではなく、もっと北の、周りは自然しかないような田舎で育ちました。

 末っ子ということもあるのか、親は私には教育熱心で環境を整えてくれました。それに田舎ですから、趣味の将棋以外にやることと言えば勉強くらいしかありません。そんなわけで小学校の時には東大理科三類を目指すようになりました。

 とはいえ、理三を目指したのは医者になりたいからというわけではなく、単に頭のいい人が沢山いる凄い場所、くらいに思って目標にしていたと思います。

 塾の洗脳のようなものもありました。君は理三に行けると言われたのは中学生の時だったかも今は曖昧ですが、自分は東大に行くものだとおかしな勘違いをしてしまっていました。

 高校も高崎高校や前橋高校など群馬の中では進学校と呼べる高校はありましたが、自分のペースで進めたいという思いから近くの公立高校に進学しました。悪い高校ではありませんし非難する気持ちはさらさらありませんが、言うなれば自称進学校という感じでしょうか。

 英語は中学の時に高校で習う文法はある程度覚えきりましたし、丁度コロナ禍でしたから高1の春休みに高校数学を一通り勉強し終えました。それでも都会の子たちや、本当の天才たちはもっと上のレベルに居たのかもしれません。そんなことは田舎の私の耳にも目にも届かなかったのですが。

 高1の冬あたりから受験を考えるにあたり、理三ではなく理一を志望するようになりました。医者には向いていないなとは思うものの、理由としては昔と大差ありません。この時には偏差値という言葉を知っていますから、「単に偏差値が高いから」という安直な理由です。

 時は流れて、いよいよ受験という1か月前、私立の併願を漸く考え始めますがここでも判断基準は偏差値でした。一般で早稲田と慶應、共テ利用で理科大を受験しました。

 私立はどれも合格していましたが、東大はあと4点で落ちてしまいました。要は東大落ち慶應生という、慶應生の中ではよくある形で大学生活が始まろうとしていました。

 しかし、私立はただでさえ学費が高く、しかも群馬からでは遠い、一人暮らしはそれはそれでお金がかかる。

 私は「偏差値」という数値に踊らされて、大学の立地・学費という重要な要素をまるで考えていませんでした。

 担任の先生や親はそんなことを教えてはくれませんでしたが、「学費のことはもう考えている前提だよね?」と思っていたのかもしれません。

 常識的に考えればそれは当たり前のことで、私だって周りが教えてくれなかったのが悪いとは全く考えていません。私の視野があまりに狭かったということがお分かりいただければそれで充分です。

 ただ、いくら常識的にはわかっていて当然とされるようなことでも、私のように知らない・考えから抜けてしまっている人だっていてもおかしくありません。大切なことは何度言ったってその重要性は損なわれません。

 このnoteがどこまで届くかは分かりませんが、私の経験・失敗を基にこれから受験を控える人たちに言えることは、

 大学選びは偏差値だけで判断してはいけない

ということです。

 立地、学費は勿論ですが(私にとっては勿論ではありませんでしたが)学びたいことは何か、将来何になりたいか、など多角的な視点を持って慎重に選ばないと私のような往復8時間の通学という大きな苦痛を味わうことになりかねません。



 通学時間が1時間を超えるとうつ病のリスクが高まるという研究が発表されたというニュースを見ました。しかし、この研究を知る前から、私は経験として通学時間とメンタルヘルスの関係を知っています。

 皆さんからすれば誰なのかも分からないような人でしかありませんが、私のこのnoteが今、未来の受験生や同じ悩みを抱える人たちに、そしてこれからの研究に役立つ日が来れば幸いです。


片道4時間の実情

隠しているのは名前です

 今も使っているSuicaに去年使っていた定期の跡が残っていました。拾い画と疑われても今の時代仕方のないことではありますが、実物を今も尚使っているので会えばいつでもお見せします(白目)。

乗車時間
 自宅の最寄り駅~高崎 1時間
 高崎~渋谷 2時間
 渋谷~日吉 20分

 これに乗り換え時間が加わると大体4時間になります。鬼門は高崎での乗り換えで、行きは上手くいけば3時間半で着きますが、帰りは都会→田舎なので中々電車がありません。

心の負担

 私は電車がそこまで好きというわけでもありませんから、電車に乗り続けるというだけでもなかなかの苦痛ではありましたが、長時間通学することによる負担も数知れずありました。あまり余計なことをごたごた話しても仕方ありませんから私が思ったことを挙げていきます。長時間でなくとも、電車に乗っていれば誰でも経験するようなこともあると思いますが、ご理解いただければと思います。

睡眠時間が取れない

 1限(9時~)からある時は、家から駅まで車で10分弱、始発が5時21分なこともあって4時に起きないとなかなか大変です。また、5限(~18時)まである時は家に着くのが22時半近くになります。そこからお風呂に入ったり夕飯を食べたりしてると23時~24時になってしまいます。

 5限まである日と1限から始まる日が連続して、しかもどちらも必修だったので休みたくても休めない苦痛を味わいました。

 1日の1/3電車に乗っているんだったら電車で寝てしまえば、と思われる方もいらっしゃるかもしれませんがなかなかそういうわけにもいきません。

いつ出発しても満員電車に

 たとえ始発に乗っていったとしても、都会に近づくころには通勤ラッシュの時間に丁度重なるので、埼玉の籠原辺りから徐々に混み始め、気づけば満員という状況が必然です。

 高崎ではまだ空いているので座ることが出来ますから寝ることもできますが、慣れない満員電車ではなかなか寝ることもできませんでした。それに、一駅寝過ごすだけでも、一本電車を逃すだけでも、遅刻がほぼ確定なので寝過ごすようなことがあってはなりませんからなかなかぐっすりは寝れません。

 帰りは帰りでまた大変です。今度は都会→田舎なので埼玉~群馬辺りに着くまでの2時間~2時間半くらいは立ちっぱなしで到底寝れません。高崎~最寄り駅でも座れないことはよくあることです。もし帰りにどこか少しでも寝れたら運がいいなとありがたく寝させてもらいますが、帰宅ラッシュに遭遇するのでなかなかそうはいきません。

 そもそも電車での睡眠があまり意味をなさないと感じてしまうのは私だけでしょうか。体を委ねて揺られながら眠りに落ちるのは気持ちの良いものはありますが、あくまで仮眠でしかなく、それに私は夜寝れなくなって睡眠時間が取れなくなってしまいます。根本的な解決には至りません。

 寝れようが寝れまいが満員電車に重なってしまうのは辛いものがあります。

 代表的なものはこんな感じでしょうか。このほかにもいっぱい書きたいことがあるのでなるべく簡潔に書いていきますがご了承ください。

勉強時間が取れない

 睡眠時間が取れないのであれば勉強の時間もなかなか取れない。電車の中で勉強できれば良いのだが、満員電車では集中できない、十分な勉強にはならないということ、そして私の場合は電車に乗って活字を読むと眠くなって勉強できないということがありなかなか難しかった。

 大学が始まる前にある程度予習していたため、何とか乗り越えられはしたものの、満足できるかと言えば別でGPAは2.7くらいだった気がする。

電車の中で体調が悪くなる

 電車通勤・通学をしている人なら経験があるかもしれない。ただ、途中で降りたり乗り換えの間にトイレに行ったりすることが出来ればよいのだが、どこか一個ずれるとその先が大幅にずれたりすることもなくはないため、授業に間に合わない、終電を逃す等の可能性がある。

イベントがあっても気軽に参加できない

 大会がある、将棋のイベントがある、打ち上げ・飲み会がある、となっても遅くなると終電を逃して帰れなくなる。(ex.慶應のキャンパスがある日吉付近だったら8時には出ないと帰れない。)

友達が出来ても遊べない

 上のイベントがあっても気軽に参加できないのと同じような理由で、時間の都合上授業後に遊ぶ、土日遊ぶと言ってもそう簡単には遊べない。

電車の中で変質者に遭遇する

 一度遭遇すると怯えながら電車に乗るようになる。ニュースでも電車・駅での事件を取り扱っているのを見ると自分の身にも、と常に警戒しながら電車に乗るようになり、段々疲れてくる。

 それで油断していると現れるもので、私が遭遇したのは、突然吊革2つを使って懸垂のように体を持ち上げたかと思ったら足を席の上の金網に乗せるという行動をとった男性である。女性と一緒にいたのでおそらくカップルで、そしてかなり若そうに見えた。席を取る(奪う?)ための行動だったのかもしれないが、勿論周りに座っていた人たちはすぐ避難した。幸い大きな事故に出くわしたことはないが、こういうことが積み重なっていくと心労は大きい。

事故等の電車停止

 人身事故、緊急停止ボタン、天候…など様々な要因はあるしどれも経験はある。私は病んだものの、この長距離通学を経験したおかげか線路に飛び降りてやろうかとは思わない。自殺するにはそれなりの苦痛があったことは間違いないが、一人の行動で多くの人の人生に影響を及ぼすのだからその事の重要性は忘れてはならない。電車は止まらないから自殺にはうってつけなのではない。電車は止まるのだ。多くの人の時間と一緒に。

 高崎駅から数駅前のところで踏切内に人(車?)が立ち入ったことで1時間近く車内で待たされ帰れるかどうか怪しくなった時もあった。

 台風が近づいていたのかは覚えていないが、記録的な大雨でまさかの日吉駅から電車がほとんど出なくなってしまったこともある。5限が終わって出てきたらこれで、私には待っている余裕もなかったので、泣く泣く大雨の中歩けるだけ歩いてなんとか電車が出ている駅に着いたから良かったものの、帰れなかったら泊まることになっていたのだろうか。着替えも持っていなければ次の日の教科書もない。

自分の時間が少ない

 寝る時間だけが自分だけの時間であとは人目にさらされているような感覚。家にいる時間がそもそも短いので好きなこともなかなかできない。休みの日は日ごろの睡眠不足を補おうと沢山寝たりしようものなら本格的に自分時間が取れないので難しいところだった。

旅行とは違う

 電車通学を何とかして楽しめないかと思った時期も。そこで、友達から言われた片道4時間なんてほぼ旅行じゃんwという言葉を思い出し、旅行気分で過ごせないかということに至ったわけである。しかし、どれだけ日が経とうと同じ光景が繰り広げられるわけでそれを毎日8時間経験したら飽きるどころか嫌になってくる。進むたびに目新しい景色が広がっているわけではない。旅行じゃんとは言われるが全くもって違うのだ。

いびきがうるさい乗客

 夜は遭遇したことはないのですが、朝は結構いる。イヤホンを貫通してくる音量で、しかも大抵近くに座っているので勘弁してほしい。

荷物が邪魔

 ずっと座っていたり満員電車に乗ることを想定したりすると、金網の上に荷物を置くことは躊躇してしまう。田舎者なので取られてしまうんじゃないか、取り間違いで持って行かれやしないかと不安が勝って常に肌身離さず持つことにしていた。しかし鞄が二つになってくると流石に抱えきれないし持てたとしても隣にはみ出たりして邪魔でしかない。

座っても地獄、立っても地獄

 長時間同じ姿勢で座っていれば腰や尻が痛くなったり、立っていればそれはそれで荷物があったり満員電車に揉まれたりして酷く疲れる。どこにも逃げ場がない。



 もっと先に話せばよかったかもしれませんが、私はこれと似たテーマで一度noteを書いています。

 しかし、あまりにも病んだ衝動で、自分が生きていた証を消して死んでしまいたいという思いからの行動の一端としてアカウントごと消してしまい、今はもはや検索結果にも表示されません。その時にはもっと色々書いていたのですが、嫌な出来事ということもあり記憶が薄れてしまったのかもしれません。それでも忘れきれないことばかりで、今も電車に乗る時にはたまに思い出したりして苦しんだりします。

鬱病?

 私は鬱病になっていたのかわかっていません。病院には行かせてもらえなかったからです。姉が同じように鬱病のような状況に陥った際も、両親はあまり理解を示していませんでした。鬱なんてやる気がないだけの甘えというのが両親の考えなのかもしれません。私に関してもその姿勢は変わることはありませんでした。

 今は一人暮らしをさせてもらっています。もう慢性的に落ち込んだりすることは滅多にありません。それでも、電車通学をしていた頃は毎日苦しかったです。大学に行きたくないというのは序の口で、毎日どこで自殺できるか考えていました。家出もしました。帰らない日もありました。

 今になっても思い出して苦しむことがあるということ、そして鬱病リスクの増加という研究結果を考慮すると、鬱病だったのかなと思わざるを得ません。

 親に苦しいと打ち明けても、私だって高いお金払ってるんだから!と逆上されてしまうのがオチでした。金銭的に負担をかけていることは間違いないので従うしかないという思いから、苦しいという気持ちは自分の中にだけ留めてそのまま死んでしまおうと考えていました。

 それでもいざ崖を目の前にすると足がすくむものです。私はその一歩を踏み出せずに今も生きてしまっています。なんで今も生きてしまっているのかよくわかっていません。

 

 私の周りには救ってくれるような人がいませんでした。高校時代の友達はもう一人暮らしをして地元には残っていなかったですし、バイト先の大人に相談しても結局は他人事ですから解決には至りませんでした。

 救ってくれる人がいないなどと言うとなんて人任せなんだ、自分でなんとかしようとする気力はないのか、と怒られてしまいそうですが、当時の私には自殺する事しか頭になかったので、この状況が変わることに希望を持っていませんでした。

 私と同じように病んでしまう人がこれから出ても、それは何も不思議ではありません。救ってくれる人が周りにいる人もいれば、そうでない人もいます。私はなぜか生き延びてしまいましたが、その中の誰が自殺という選択肢を選ぶかはわかりません。

 だからこそ、私が出来ることは苦痛な状況に陥るのを未然に防ぐことだと思い、長時間通学と言うのは苦痛な状況の一例ではありますが今回のnoteを書くことに至りました。


 辛かったら休んでください。私が生き延びれたのは親に内緒でたまに休んでいたこともあるかもしれません。

 辛かったら病院に行ってください。診断結果があれば多くの人が対応を取ってくれることでしょう。

 辛かったら相談してください。相談する相手がいない、誰もわかってくれないようでしたら遠慮なく私に相談してください。


 拙い文章ではありますがここまでご覧いただきましてありがとうございました。このnoteが多くの人の目に留まり、一人でも多くの命が救われることを願って。

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