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61.「頭いいなって思う人ってどんな人?」

こんばんは、くろぎです。

あっという間に4月もクライマックスを迎えてますね。くろぎは4月頭に約1年ぶり2度目の引っ越しを敢行し、板橋区民から新宿区民になりました✌しかし、喜びもつかの間、段ボールの片づけも終わっていないうちに人生初の食あたりになって久々の高熱にうなされていました。最近ようやく回復して元気に新生活を謳歌し始めています。仕事では新入社員を迎え入れましたが私が甲斐甲斐しくお世話をしなくても強く生きていける頼もしい新人なので未来は明るい。

さて、1か月ぶりの更新となりましたが本日のお題はこちら。

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頭が良い、って一言で言ってもそう感じさせる人の魅力って多岐に渡る気がしている。僭越ながら頭の良さについて話していいっすか!!!!

過去記事で取り上げた「頭の良さ」をもう少し掘り下げてみる

実はくろぎの思う「頭の良い人」の要素は恋愛という前提ありきになりますが下記記事の中で少し取り上げたことがあります。

私の場合は以下の要素を持っている人を「頭が良い」と考えることが多いです。

・論理的に物事を捉えることが出来る(なんでも感情論で話さない)
・自分と異なる価値観・考えを”理解”することが出来る(共感はできなくてもOK)

・自分なりのこだわりや軸を持っている
・会話レベル/物事への着眼点が合う

要するに、衝動的な感情や周囲に流されることなく自立して生きられるものの、他者と共存できるような基盤も持つ、「寛大さと余裕のあるスマートヒューマン」がいいなぁということです。

恋愛に限らず、あらゆる対人関係を対象とした時に「頭の良さ」を感じる人の特徴は特に太字に記している要素に帰結すると思っています。

正直これでもうこの記事のお題への回答は完結しているんですが、それぞれの要素をもう少し詳細に掘り下げて話してみようと思います。

「頭が良い」人の特徴①:感情優位でなく、論理的に物事を捉えることが出来る

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他の人はどうか分からないんですけど、個人的にはこれに対する評価の比重がそこそこ大きい自覚がある。

大前提として、決して自分の感情のあるがままに生きることがダメだというわけではないです。なんですけど……これまでの人間関係を振り返って考えた時に、感情優位に解釈し、それをそのまま行動に移す人って衝動的というか、自分本位な傾向が強いなと感じる場面が多かったんですよね。まるで自分以外の人の立場や事情、視点を考慮しようとする余地がない。

世の中のあらゆる事象や目の前で向き合っている人がどうして今そのような状態になっているのか、なるべく主観や都合の良い解釈に寄らないように事実ベースで筋道立てて考えることのできる人は「一歩引いて全体を俯瞰する」という点において信頼できるんだよなァ〜!しかも、それができる人は後述する「自分と異なる他者と共存」するための土壌を持っていることも同時に意味していると思います。

「頭が良い」人の特徴②:多角的な視点、価値観と共存できる

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基本的に自分の持つ主義・思想・価値観を通して森羅万象を解釈するじゃないですか。そして、その解釈は人の数だけ存在している……つまり、他人は自分と異なる考え方や視点を持っているわけです。

これってごく当たり前なことなのですが、自分の考えが「当たり前」になってしまうあまり、自分とは異なる他者のモノの捉え方や考えを理解・受容できず、否定したり拒絶してしまうことって珍しくないことだと思います。

ただ、頭の良い人ほど自分と異なる他者とも気楽に付き合える柔軟さに長けていると感じています。良い意味で「自分が一番正しい」と考える頑固さというか、変なプライドを持っていない。一度は自分にはない要素と対峙することで面食らったり困惑することもあるかもしれないけれど、それをそれとして理解しようとするし、上手に「多く存在する解のうちの一つ」として自分の中に吸収し、引き出しをどんどん増やしていけるんですよね。

つまり、自分がデフォで持っている主義・思想・価値観はそれとして掲げつつも、「確かにそういう見方もあるよね」と、異なる解釈を別解として腹落ちさせ、状況や相手に応じてアジャストすることが出来るということです。

・自分の考え・価値観と照らし合わせたときに、どの部分に差異が生じているのか。その差異は何に由来しているのか。
・相手の考え・価値観の主軸に存在するものは何か。その考えに至った理由や根拠など、背景に何があるか。
・自分と相手の間で共有しあえる要素はあるか

といった具合に、表面的な違いだけを見て良し悪しを判断しようとするのではなく(厳密にはそこに優劣の差はないのだが)、両者の違いを生み出す何らかの経験や思考の流れといった部分にまで関心の目を向け、共存・歩み寄り前提の姿勢をベースにコミュニケーションを図れる人はベリースマートヒューマンだと思います。いうまでもなく、拡張性のある人間関係を築けるからです。

他にも「自分にはなかった発想や意見でも良いと思ったものは積極的に取り入れる」「自分が間違っていると感じたら素直にそれを認め、考えのアップデートを行うことが出来る」「異なる主張を持つ人間との議論を険悪にならずに出来る(=学ぶ姿勢を持つことができる)」のも同じく柔軟性の高さを感じられて良いですね。

逆に言えば、一見交友関係が広く見える人でも、自分の考えを押し付けることに終始したコミュニケーションしか取れない人の場合、他者を理解することはもちろん、真の理解者を得ることが極めて困難という意味で孤独な生き方しかできないと思っています。必ずしも「孤独に生きる=頭が悪い」ということではないですが、自身の平穏な存続という側面で見た時に決して賢い選択ではないのではないでしょうか。

自己保存にまつわる話はちょっと今回の主旨とはズレそうなので今回は詳細に触れず割愛しておきます。

「自分」と「他人」を同一視せず、かといって排他的にもならない絶妙な境界線を引ける人に頭の良さを感じる

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こうやって書いてみると私が思う「頭の良い人」の要素って結構偏りがある気がする。多分私以外の人に同じ問いを投げかけたら「勉強ができる」「話がうまい」「要領がいい」とか、全く別の回答が出てくるんじゃないでしょうか。

それにしてもくろぎは感情的で思い込みが激しい……自分の考えが絶対的だと盲信する人に何か嫌な思い出でもあるのでしょうか(すっとぼけ)。

金子みすゞが「みんなちがって、みんないい」とおっしゃっている通り、自分と他人は絶対に何かが違う存在同士だからこそ、良好な関係を築くのはこの上なく難しいし、面白いと思うんですよね。

自分と相手の間には多かれ少なかれ違いがあることを前提に接し、相手を自分にとって扱いやすいように変えようとせず、しかし時には相互で歩み寄れるような余裕がある人同士の付き合いが理想的ですし、それを実現しえる思慮深さにこそ頭の良さを感じます。

実は今日この記事で述べたことは私が常日頃意識していることに他ならないです。これは決して「自分は頭が良いです!」と言いたいのではなく、むしろ石頭で頑固で保守的な考えに縛られがちな私こそ気をつけなければいけないことだなと常に言い聞かせていることの整理ですね。

自分の考えに固執してしまうことで相手を無条件に否定してしまうことだけは避けたいなと思う今日この頃。

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