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愚なる聖者

 須賀敦子のエッセイ「ユルスナールの靴」に本題とは関わりがないが、印象深いエピソードがある。
 若き日の須賀さんはヨーロッパに渡ってまもなくの頃、一つの新聞記事を読んだ。
 こういう話だ。
 20世紀始めのフランスにブヌワ・ラブレという修道士がいた。
 ブヌワは神の歓びに到達したいと願って修道士になったものの、日常の仕事はまるきりダメで役に立たない。それならば、熱心に祈っているかと思えばそうでもない。彼は祈りの時間にすら遅れてしまう始末なのだ。だから、彼は一つの修道院にずっと居続けられずに、修道院を渡り歩くことになる。
 でも彼は何としても神の何かに達したいという思いがやみがたく、終いには修道士ではなく修道院の門番として働くのだ。
だが、そこでも安心できず、とうとう修道院をでる。
 修道院を出たブヌワは物乞いのような生活を送り、彼はローマの道端で死んだ。
 彼が死んだ際には、「ブヌワさんが死んだ」と子どもたちの歓声に近い叫びが路地に広まり、一斉にスズメが鳴きだしたのだと言う。
 そして、彼の死後に教会から聖者の列に挙げられたのだ。

 須賀さんはどうして教会は彼を聖者の列に加えたのかわからないと、そのエピソードをび、次の話題へ文章は進む。
 わからないとしながらも、須賀さんは若い頃に新聞記事でブヌワのことを知り、ずっと心の中で引っかかっていたのだろう。
 「ユルスナールの靴」は彼女が書いた最後の作品である。
 ブヌワ・ラブレと言う人物についてはネットで検索をしても出てこない(それは日本語での検索だからかもしれない)。ほとんど忘れ去られたような人物である。
 どうして、彼は聖人になれたのだろうか?
 私は、どんな状況でも、ブヌワは神に仕えるという一点からは逃げなかったからだと思うのだ。
 彼は怠惰であっても神への道を捨てなかった。おそらく、修道院においても同僚にも呆れられて、肩身の狭い気持ちで日々を送り、修道院から出て落ちぶれていても、神への道にしがみついた。
 自分に見切りをつけなかったのだ。
 安易に見切りをつけない、このブヌワの愚かさこそ尊さなのだと思う。
 だが、ブヌワは自らを行動の意味も分かっていたとも思えない。迷いながら死んだような気がする。
 死んで神への思いが完成したのだ。そこに信仰の、あるいは人間の凄味、こわさを感じる。
 その感想は自分の身にも返る。
 私は当然に利口にも、またはブヌワのように愚者にも徹しきれない。
 中途半端なまま、ただの愚者として死ぬのだろう。



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