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季節が過ぎて行ってしまっても

その曲が降ってきたのは
2023年5月27日土曜日の
「昼下がり」みたいな時間だった。

Listen to 一刻 (仮) by Kiichi Mochizuki on #SoundCloud

ちょうどその日の夜、
三軒茶屋グレープフルーツムーンに
澤田空海理・望月起市の企画「パンプルムース」を
観に行く予定だった私は、
SoundCloudに不意に上がった曲を聴いて
だいぶ動揺した。

空き家に生い茂る蔦のような
ガットギターの響きで始まる歌は、
交通事故のニュース的な科白が差し込まれ、
ドラマチックな組曲風の展開をたどる。
1st.EPの作風や歌詞からは
違う気配を感じ取ると同時に、
EPフィジカルの特典で作ってくれた
ライナーノーツ的冊子に書かれていた事柄も
思い出されたりして、
フィクション・ノンフィクションの
境目も解らないけれど、
はっきりさせる必要もないけれど、
とにかく混乱を来して
思考・動きが止まってしまった。
 
出かける支度の調子がすっかり狂って、
私はせっかく住居から比較的近い会場である
三軒茶屋までタクシーで行くはめになる。
まあまあいい整番だった気がするのに、
開演ギリギリで着いた。
ライブは
空海理さんパート1部、起市さんパート1部、
休憩を挟んで、
空海理さん2部、起市さん2部
(ラストの正しく忘れるで空海理さんとデュオ)、アンコールでお二方でパンプルムース、という
至れり尽くせりの構成だった。

その曲は、早速その日の起市さん1部
3曲目で披露された。
粗さと優しさの入り混じる演奏の中に、
ヒリヒリとした切実さと僅かな狂気があった。
あの日あの会場にいた人はみんなたぶん、
あの曲を歌う彼の表情を忘れてないと思う。
 
バンドセットでのお披露目は、
それから1カ月半ほどたった7月16日日曜日
FUJIとの企画、幡ヶ谷フォレストリミットでの
フロアライブで
(客がバンドをぐるっと円に取り囲んで観る形式で、謎の一体感が素敵だった)
ドラムとベースの間にいた私は、
この曲のギターイントロで直希さんが
ドラムブラシを出したのを目にした時点で
(あ、ぜったい神曲に仕上がっとるやん、、、)と
思ってしまったし、実際十二分にそうだった。
このライブからセットリストの表記が
「澄ましていたい」
「一刻」
となっていたので、
2曲組になったんだな。と認識した。

この2023年7月16日以降、
ソロ弾き語りでも、バンドセットでも、
この2曲組は毎回演奏されていると記憶している。
 


私は幸福な事に、まだ大事な人の死に接して
心がぐしゃぐしゃになったことがない。
実父は10年ほど前に亡くなったが
(急に未明にトイレの前で倒れた)、
酒も煙草も相当の人だったし、
自分なりにそれまでに親孝行も
十分してきたつもりだったので、
何故か「ショック」とか「深い悲しみ」とか
「辛い」に類似した感情は出てこなかった。
なんだかんだで相当数の通夜葬儀には参列したことがあるし、隣の家が火事で全焼し生命の危険を感じたこともあるし、思春期のハシリには「完全自殺マニュアル」を読んだし、小さいころ(いや、中学生くらいのころまで)時々、夜、ふと「お母さんが死んだらどうしよう、、そんなの絶対嫌だ、、、」という感情が芽生え、布団の中でメソメソ涙を流していた(すっごく元気な母なのに)。
私の生死感はその程度である。

その程度の私が想像するには浅く、
核心とは見当違いの場所を
感じ取っているのだろうけれど、
少なくともこの2曲が
「とても大事な曲」ということはわかるし、
私にとってもこの1年
季節の中を一緒に走り抜けてきた大事な曲だ。

どうしてもこのタイミングで(いやもう少し早くしたかったのだけど)、何処かに書き残しておきたかったので、ひっそりと上げておきます。


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