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全身麻酔が効きすぎて地獄だった話

今月始め、眼を手術した。
眼の手術というのは局所麻酔でいける場合と全身麻酔じゃないといけない場合があり、私の症状は後者だった。

何を隠そう、私は全身麻酔の猛者(かけられるほう)である。
未熟児で生まれたため人生の滑り出しはかなりハードモードだったようで、心臓だの足だの、これまでいろんな体の部位を全身麻酔で手術してきた(あ、ぜんぜん重い話じゃないよ)。

人生で一度も全身麻酔を経験しない人もいるだろうことを考えると、およそ30年で4回というのはけっこうなハイスコアだと自負している。10年に一度の頻度である。

1回目、2回目は小さい頃のことなので記憶がないが、3回目については、つい3年前のことなのでしっかりと覚えている。
今回と同じく眼の手術で、同じ症状を同じ病院で治療した。
ゆえに私は今回、万全の事前準備と心構え――術後は顔が洗えないので介護用の大判の体拭きシートを持っていったほうがいいとか、読書や動画視聴は推奨されないのでAudibleに登録して、Wi-Fiがあるうちに何タイトルかダウンロードしておくのがいいとか――をして入院に臨むことができた。

全身麻酔についても、前回は目が覚めてから猛烈な吐き気に襲われたので、麻酔科医にそのことをアピールしまくり、今回は麻酔と一緒に吐き止めの薬を多めに点滴してもらうことに成功した。
全身麻酔なのだから、術後の多少の体調不良は覚悟の上だ。
前回は、丸一日こんこんと寝ていたら翌日にはケロッと復活した覚えがあるので、今回もそんなかんじでいけるだろう。
しかも、今回は吐き気対策も講じている。完璧だ。

そういうわけで、私は特に緊張することもなく前日入院をし、入院生活と翌日の手術について看護師さんから説明を受けた。
この説明の際にちょっとしたトラブルがあった。

私は外来のときの説明で、6/1㈭〜6/4㈰までの入院予定だったのを、6/3㈯までに短縮すると聞かされていた。
病院の事情で、その日は入院費のクレジットカード決済ができないから、ということだった。
手術は6/2㈮である。3日㈯に退院ということは、手術の翌日、それも午前中のうちに病院を出ることになる(原則、退院日の午前10時半までにベッドを空けなければならないという病院の決まりのため)。
仮にも全身麻酔の手術だ。手術から24時間も経たないうちに外界に放り出されるというのは大丈夫なのだろうか。
若干の不安を抱いたが、医者がいいというのだからいいのだろう、と私は入院の短縮を承諾していた。

しかし、実際に入院して入院計画書を見てみると、入院期間が6/1㈭〜4日㈰となっている。あれ、3日㈯に短縮されたんじゃなかったっけ。

すったもんだした結果、退院日はやっぱり4日㈰ということになった。
ただ、入院費は土曜日にクレカで払えると思っていたので現金の持ち合わせがない。
そのことを伝えると、それは退院後の最初の外来のときに支払えばよい、ということにしてくれた。
結果的に、退院日を遅らせたのは正解だった。

入院当日は、当然ながら、術前なので普通に健康で元気な人である。
主治医の簡単な診察のあと、友人と呑気に長電話をし、18時に早すぎる夕食をとったあとシャワーを浴びた。
術後は退院まで入浴できないし、退院後もしばらくは普通に頭を洗えないので、じゃぶじゃぶと洗える喜びを噛み締めながらシャワーを浴びた。
温泉や入浴施設ではなく病院だからなのか、シャワー室には、シャンプーリンスボディーソープの類は備え付けられていなかった。バスタオルもなかった。
かつてゲストハウス巡りに凝っていたことがある関係で、私は、どこかに宿泊するときは必ず試供品の入浴セットを持参することにしていた。
どんな安宿でも、だいたいどこの馬の骨ともしれないリンスインシャンプーくらいはあるので、それはもう3,4年くらい入れっぱなしになっていたのだが、やっぱり持っていてよかった。
タオルは、バスタオルはなくフェイスタオルだったが、髪が短いので問題ない。
私は常々、自分が超短髪にしている理由を「災害時に備えて」と冗談半分で説明しているのだが、災害ではなくとも似たような状況が到来したわけだ。髪が短くてよかった。

病院は21時消灯なのでシャワーから出るとあっという間に寝る時間になる。
しかし、もちろんぜんぜん寝れない。
私はもともと早寝早起きの人間なので、21時就寝が問題なのではない。
枕が変わると寝られないタイプなのだ。というか、病院のシーツの、あのざらざらしたかんじが肌に合わない。
我が家では、使い古したバスタオルを縫って布団や枕のカバーにしている。
あのくたくたの生地感、起毛が死んでるかんじの肌触りが安眠には不可欠だ。
だから私は、遠征したときのホテルなんかでも基本的にまったく寝れない。

まあ、寝れないなら寝れないでいいや、と思っていた。
どうせ明日は全身麻酔なのだ。術後も含め、たぶん嫌というほど寝ることになる。
麻酔による睡眠が通常の睡眠を補えるのかどうかは知らないが、補えるということに勝手にした。
同室の白内障手術のおばあちゃんが立てる寝息に聞き耳を立てたり、看護師さんの巡回を寝たふりでやり過ごしたりする。
気づくと、時計の針がもうじき午前零時を指し示そうとしていた。
私はふと思い立って、暗闇の中、ベッドの上で上半身を起こした。

そうだ、何か食べておこう。

術前オリエンテーションの際、全身麻酔のために食べ物は夜中の0時まで、飲み物は朝の6時まで、それ以降は絶飲食を守るように言われていた。
夕食を食べたのは18時、次に食べ物を口にできるのは最短で明日の14時。
ここで何か口にしておかないと、20時間も何も食べないことになる。絶対にお腹空く。

というわけで、私はのそりと布団から抜け出した。
手探りで貴重品の入っている引き出しの鍵を開け、財布を掴んで病室を出る。
一応、消灯時間後にトイレ以外で病室の外を出歩くのは禁止だから、スリッパの音を立てないようにエレベーターまで歩いた。
幸い、夜勤の看護師さんはナースステーションの奥のほうに引っこんでいて、こっち側からは姿を確認できなかった。こっちから見えないということは向こうからも見えないということだ。
眼科病院だけあってエレベーターは喋るタイプだったが、その音声を聞きつけた看護師さんが奥から出てくる、ということもなかった。

私が入院しているのは4階だったのだが、1つ下の3階に誰でも利用できるラウンジがあって、そこにファミマの自販機が設置されていた。
消灯後なので、当然、3階も真っ暗だ。ただ、自販機には電気が点いていてそこだけ明るい。
適当に選んでさっさと病室に戻るべきところだ。
しかし、食べたくないものは買いたくないという気持ちがどうしても捨てきれず、夜にパンはいかがなものかとかツナマヨは好きじゃないとか、うーん紅鮭の気分でもないとか、しばらくどれにするか迷っていた。
そのときだった。
エレベーターのほうに人の気配があった。

やべ。咄嗟に石像になりきる。

どうやら、スタッフオンリーのドアから出てきた男性職員のようだった。ワイシャツにスラックス、首からネームプレートを提げている。
彼はボタンを押してエレベーターを呼び、しばらくしてやってきたそれに乗って1階に降りていった。
よかった。見つからなかった。いや、真っ暗闇の中に明るすぎる自販機の電気、その正面に私は立っていたのだから見つからないはずがない。
しかも、この時間に思いっきりパジャマ姿で手に裸の財布だけ持っているのだから、入院患者だということもバレバレだろう。
しかしなぜか見逃してくれた。医師でも看護師でもない彼には、入院患者が消灯後に出歩こうが何をしようがどうでもいいのかもしれない。
とにかく助かった。

迷った挙句に130円の鶏めしを選び、私は来たときと同じように抜き足差し足で4階に戻った。
ナースステーションの前もやはり問題なく通過し、無事に病室に帰還した。
寝息を立てる白内障のおばあちゃんを気遣い、あまり音を立てないように鶏めしを完食する。
お茶を飲んで時計を見ると、午前零時5分前だった。セーフ。

翌朝、5時過ぎに起き出して顔を洗い(これを最後にしばらく洗顔もできないので丹念に洗った)、病室と給湯器を何度も往復して冷たいほうじ茶をたらふく飲んだ。
なにせ、6時を過ぎたら絶飲食なのだ。

それからベッドの上でぼんやりプロットを考えていたら、朝食の時間になり(私は何も食べられない)、さらにぼんやりしていたら尿意がやってきた。さっきのほうじ茶だ。
トイレに行って戻ってきたところでちょうど術前の点滴が始まる。

30年近く己の膀胱(代謝がよすぎてトイレ近い)と付き合ってきたので、我ながら完璧なタイミングで膀胱を空にしておくことができた。
これで、手術の真っ最中に尿意で目覚めてしまうこともなければ、手術台の上で漏らしてしまうこともないだろう。
コンディションは万全だ。来たれ、全身麻酔。

点滴が始まってからは早かった。
8時半きっかりに母親が来て(全身麻酔の場合は親族の立ち会いが必要)、その20分後くらいに看護師さんが来た。

看護師さんに先導されて手術室に入る。
持参したバスタオルが看護師さんの手で手術台の上に敷かれる。
私はその上に寝る。

麻酔前哨戦のような点滴が始まるとすぐに体がだるくなり、眠くはないけど目を閉じていたほうが楽、みたいな気分になってくる。

閉じた瞼の向こうで、「黒田さんおはようございますー♪ 体調はどうー♫」というやたらテンションの高い主治医の声がした。反応する気力がない。

なんかだるいな、眠くはないんだけどな、と思っているうちに、いよいよ瞼が持ち上がらなくなった。
でも、周りの人の話し声は聞こえる。

前回はここで瞼の裏に万華鏡みたいな模様がぐるぐるして、ああ寝そう、そろそろ意識なくなりそう、という意識があった。今回はそれがない。
あれ? あれ? あれ……?



次の瞬間、目が覚めた。

目を開けたのに何も見えない。
右眼のほうは微かに見えるが、視界が米粒くらいしかないし、その狭い視界も靄がかっている。

なんだこれは。いったいどうなっているんだ。

状況を把握しようと首を少し右に傾けると、米粒の視界が母親の姿を捉えた。

私が動いたのを認めた母親が、「起きた?」と聞いてきた。
起きた、と答えようとして、私は自分の体が死ぬほどだるいということに気づいた。

頭の先から足の先、手の指の先まで、重油が満タンになっているかのように重い。
手術直前の、あんな心地よいだるさではない。

手術直前、というワードをきっかけに、自分が眼の手術を受けて、そのために全身麻酔をかけられて、たったいま目が覚めて…という一連の情報が脳みそになだれ込んできた。
スマホの電源を入れた瞬間、続けざまに通知が来るみたいなかんじだった。

朦朧としている意識の中で、1つだけはっきりとしている感覚があった。

寒い、ということだ。

あまりにも寒すぎる。凍えるほど寒い。
いまは6月、ここは病室、この世で最も快適な室温である季節と場所のはずだ。
それなのに、歯がガチガチ鳴るほど寒い。

ぐったりしながら尋常でなく震える私に、看護師さんが布団をもう1枚持ってきてくれる。
母親が、その布団で私を蓑虫のように隙間なく包んでくれる。
靴下を履かせてくれ、背中には湯たんぽを当ててくれている。

それでも寒い。もはや「体を温める」とかそんな問題じゃないくらい寒い。

まじでなんなのだ、これは。

私は死ぬのか。もうすぐ死ぬから、こんなに寒いのか。

実際、このときの私の様子を傍らで見ていた母親は、本当に私が死ぬかもしれないと覚悟したらしい。

とんでもなく震えていたし、とんでもないスピードで歯がガチガチ鳴っていた。
この歯と歯の間に舌でも挟もうものなら即死だろうな、と静かに考えていたそうだ。
死ななくてよかった。

30分ほど蓑虫になっていると徐々に体が温まってきた。

とはいえ、やはり気分は最悪だ。なんか胃のあたりもムカムカする。これは空腹のせいだ。しかし、体調が悪いので食欲はない。
この、空腹なのに食欲がない、というのがけっこう辛い。まじで辛い。
しかも、お忘れかもしれないが、視界は米粒の一点を除いて真っ暗である。


手術が何時くらいに終わって、どれくらい極寒と闘っていたのか分からないが、体感ではわりとすぐに水が飲める時間になった。
私がストローでちゅうちゅう水を飲んだのを確認して、特にやることもない母親は帰っていった。
帰り際、入院費用の支払いのことや洗濯物のことなどいろいろ聞かれたが、お願いだから話しかけないでくれという気持ちだった。
いま、私の体は重油満タンなのである。

その一方、水を飲んで胃が刺激されたのか、いよいよ空腹に耐えられなくなってきた。

血圧と酸素濃度を測りに来た看護師さんに訊いてみると、食べ物を食べていいのは14時からで、いまは13時半だという。

とにかく腹が減って死にそうだということを弱々しく訴えると、14時きっかりに軽食を持って来られるようすぐに準備してくれるという。

軽食の内容は記憶が定かではないが、デザートが小豆と生クリームののった抹茶ムースだったことは覚えている。

うわー、抹茶も小豆も苦手なんだよなー、と思ったからだ。

それでも、この軽食を私は完食した。気分の悪さに空腹が勝った。




それで空腹は解消されたはずだったが、胃のムカつきは依然として続いていた。

私はもともと胃腸が強いほうではなく、あまりにも腹が減りすぎてしまうと何か食べてももはや手遅れ、ということが普段からよくある。

陸上選手の「差し込み」のような胃痛と、全身麻酔の影響としての体調不良と、視界のシャットダウン。

ストレスという名の季節外れの雪が、しんしんと私の心に降り積もっていく。
振り返ると、この時間帯が最たる「地獄タイム」だったかもしれない。
術後、意識だけは正常に戻ってきたのに、体は相変わらず絶不調。
このギャップが地味にメンタルを削っていく。

ベッドの頭を起こしてソファの背もたれのようにし、私はそこに全身麻酔明けの重油ボディを預けていた。

まるで業務終了後のペッパー君さながらの魂の抜けっぷりだった。

いま何時だろう、と思った。

時計かスマホを確認したいが、どちらも鍵つきの引き出しの中だ。

時間を確認するためには、このあまりにもだるすぎる体を動かし、米粒の視界で鍵穴を見つけ、鍵を鍵穴に入れ、スマホか時計を探し当てなければならない。
想像しただけで体調が悪くなってくる。

こんなことなら、手術前にベッド周りを快適に整えておくべきだった。
時計は枕元に置き、スマホにはイヤホンを差し、ワンタッチでAudibleでも聴けるようにしておくべきだった。

でも、もう遅い。

視覚がオフになっているせいか、聴覚がやたらと過敏になっていた。

ナースステーションから聞こえてくる笑い声や、看護師さんと他の患者さんの話し声に、どうしようもなく苛立ちが募る。
とにかく、いま何時なのか、次のイベントである夕食まであと何時間なのか、それだけでも知りたい。
でも、いま何時ですか、などという用事でナースコールを押すのは憚られるし、そもそもナースコールがどこにあるのか分からない。

じゃあもう、いっそのこと寝てしまおうか、と考える。

だが、全身麻酔の前後でしっかり寝ているせいか、目を閉じただけで眉間のあたりが嫌な感じに疼いた。
本日の睡眠は完売御礼、といった様子だ。

体調が悪い。時間が分からない。やることがない。そして何より、まったく目が見えない。
顔の皮膚の感触的に、おそらく両目に眼帯をはめているから見えないのだと思われるが、いま自分がどんなふうになっているのか、己の状況が分からない。

現状の「ない」をあらためて数え上げたのが悪かった。
私のストレスメーターは一気にMAXを振り切りつつあった。
全部を解決してくれとは言わない。
せめて、せめてこの右眼の眼帯を一瞬だけでいいから外したい。
じゃないと、まじで発狂する。

と、そのとき、タイミングよく看護師さんがやってきた。
例のごとく、血圧と酸素濃度の計測だ。
私は、濁流の中に筏を見つけたような気持ちで、その看護師さんにトイレに行きたい旨を伝えた。
全身麻酔から覚めて一発目のトイレの際は看護師を呼ぶように言われていたし、そうでなくても、両目が塞がっていては1人でトイレまで辿り着けない。

トイレを済ませ、手を洗った私は、個室内の「呼出」ボタンを押す前に、洗面台の前で右眼の眼帯にそっと手をかけた。
これをやったせいで術後の経過が思わしくなくなったらどうしよう――。
不安とためらいは、しかし一瞬だった。

やらなければ、発狂する。

いまは、それだけが確実なことだ。

私は、くっついてしまわないよう、慎重に、少しずつテープを剥がしていった。そして、ゆっくりと眼帯を外す。

クリアな視界が、そこにはあった。

私は大きく息を吐いた。深呼吸を繰り返す。
視覚が奪われていたストレスのせいか、無意識のうちに変に息切れしていたのだ。
呼吸が落ち着いてから、私はあらためて鏡を見た。
右眼は、目頭側の白目が赤くなっていた。
驚くことはない。予想どおりだ。
たぶん、左眼は目頭側と目尻側、両方の白目が充血しているはずだ。
左眼のほうの眼帯は右眼より数倍厳重で、剥がしたら綺麗に元に戻せる自信がないので、触らないでおいた。

そろそろ潮時だろう。私は外した眼帯を右目に当て、元通りにテープを貼り直す。
また、真っ暗闇に戻ってしまった。だが、どうしようもない。
私は「呼出」ボタンを押して看護師さんを呼び、病室に戻してもらったあと、彼女が立ち去る前に現在の時刻を尋ねた。15時過ぎということだった。18時の夕食まで、あと3時間弱。かなり長いが、かなり長い、ということが判明しただけでも、精神的には雲泥の差だ。


ちょっとだけ眼帯を外し、時間を把握してメンタルが多少なりとも安定したおかげか、私は眠ることに成功した。
ナースコールだけしっかりと握りしめて爆睡した。
18時に夕食が運ばれてきて、目が覚めた。
米粒ほどの右眼の視界を頼りに何とかそれを食べようとしたが、まったく手をつけられなかった。

これにはいろいろな要因がある。
14時に軽食をとったばかりで腹が減っていないというのもあるし、視界が狭くて食べづらいというストレスもある。
もちろん、シンプルに全身麻酔の影響による体調不良もあるだろう。

というか、いくらなんでもお粥の量が多すぎる。1合くらいある。

主菜の酢豚を一口食べた途端、しばらく遠のいていた吐き気がむくむくと舞い戻ってきて、私は早々に完食を諦めた。
夜中、また変に空腹になってはたまらんと、デザートのバナナだけ口に押し込んで布団に包まる。

寝ているのと起きているのと、その間くらいの意識の向こうで、主治医と看護師さんが「早く治すためにはしっかり食べてほしいけどね〜」と喋っているのが聞こえた。
うるさい黙れ、食えたら食ってるわ、というかんじだった。

私はそのまま、こんこんと眠りつづけた。
夜の血圧測定も酸素濃度測定もロキソニン服用も、夜勤の看護師さんの挨拶も全部すっとばして寝まくった。
昼間はいくら寝ようとがんばっても寝つけなかったが、周りが暗くなると自然と体が寝るモードになってくれる。
とにかく目をつぶりつづけていれば、いつかは寝られる。
夜中に何度か目が覚めたが、コップのお茶をちょっと飲んでまたすぐに寝た。
まじで一生分寝た。

眼帯の向こうが明るくなって目が覚めた。
あたりを見渡そうとして、ああ両眼に眼帯してるんだった、と思い出し朝っぱらからストレスが溜まる。
とりあえずテーブルの上のコップに手を伸ばしてみて、あれ、と思った。

体が軽い。
昨日よりも格段に機動力が上がっている。

これならもしかして、と思い、昨日は断念した時計とスマホの捜索に再挑戦してみることにした。
鍵を見つけ、ベッドから体を乗り出し、米粒の視界でなんとか鍵穴を捉えて、そこに鍵を差し込む。
時計とスマホを掴んで、とりあえずベッドの上にダイブさせる。
面倒くさいので、鍵をいま開けた引き出しに入れ、引き出しも開けっぱなしにしておいた。
体をベッドに戻す。

いけた。たったこれだけの作業、時間にしてほんの数十秒だが、それなりの疲労感に襲われている。だけど、いけたはいけた。
確実に昨日よりも回復している……!

時計を確認すると、午前6時だった。
普段から早寝早起きなのと、昨日の午後7時くらいからぶっ続けで寝ているので、もうどうがんばってもさすがにこれ以上は寝られない。

体が回復してくると、なおさら両眼の眼帯がストレスに感じてくる。
まじでこれ、いつ取れるんだ……。

ナースコールを押してトイレに行き、また一瞬だけ右眼の眼帯を外してメンタルの安定を試みる。
だけどもう、そんな小手先のごまかしは効かなくなりつつあった。
ああ、両眼のこれ、いますぐむしり取りてぇー!

朝の体調チェックに来た看護師さんに眼帯がいつ外れるのか訊いてみると、主治医の診察の前に両目とも看護師さんが外してくれるという。
診察には、午前中のうちには呼ばれるらしい。
午前中のうち……! ちょっと希望が見えた……! あと何時間かだ……!

もうすぐ朝食の時間だ。
私は、これから食べ物を口に入れる、ということについて考えてみた。
さすがに腹は減っている。でも、やっぱり食欲はない。
ただ、昨日のような微妙な気分の悪さはないので、もしかしたら食べられるかもしれない。
食べたことによってまた気分が悪くなったらどうしよう、という懸念もあったが、朝食だし、お粥一合と酢豚、なんていうメニューではないだろう。

昨日より体調がよくなった気がするとはいえ、いつも通りにご飯を完食できなければ、それは確実なものとは言えない。
来たる朝食のときに向け、臨戦態勢を整える私。

解放のときは、突然、訪れた。

「…これさ、見づらいと思うから、もうすぐ朝ご飯だし、右は外してもいいと思うんだよね」

血圧と酸素濃度の計測(x回目)にやってきた看護師さんの言葉に、私は耳を疑った。

え、いまなんて……!?

私の戸惑いをよそに、看護師さんが右眼の眼帯をべりべりと剥がしていく。
汚れたガーゼと、粘着力の弱くなったテープ(寝汗のせいです、みたいな言い訳をしたけど、自分で2回も剥がしてるからそりゃ弱くなるわな)を取って、再び右眼に眼帯を当て、新しいテープで固定する。

「はいOK」

み、見える……! 見えるぞ……!

私は、劇的な解放感に思わず雄叫びをあげそうになった。

眼帯、なくなるんじゃないんかい! と思ったが、眼帯自体はプラスチック製で透明だった。
多少、靄がかかっているかんじはあるが、先ほどまでの米粒と比べたら、それこそ米粒くらいどうでもいいことだ。
諸悪の根源は眼帯ではなくガーゼだったのだ。
ごめん、眼帯。ずっと私の眼を守っていてくれてありがとう。

やがて、朝食がやってきた。
朝食は、白パンと黒糖パン、サラダに、野菜スープというメニューだった。
メニューを、この眼で、はっきりと確認できる。
これがどんなにか嬉しいことか。
白パンは白く、黒糖パンは黒く、野菜たちは色鮮やかだ。
見ながら食べるからか、味もおいしく感じる。パンが甘い。野菜スープが染みる。
昨晩の、砂を噛んでいるような酢豚とはまったく違う。
ああ、素晴らしき世界よ。

米ではなくパンだったことも幸いしたのか、時間はかかったが、私は朝食を完食することができた。

微妙に体調が悪くなった気がしたので、すぐさまベッドに体を戻す。

入院を延長していなければ、あと3時間後には外で日光に晒されていたのだ。
いまの状況を鑑みると、まじでありえない。
翌日退院でいったんはゴーサインを出した病院も、ふざけんなよというかんじだ。
ぜんぜん無理じゃねーか。
退院、明日にしてよかったぁ。

診察の時間まで、私はベッドの上で大人しくしていた。
右眼が見えているので心持ちは穏やかだ。
そう思うと、全盲の人ってほんとにすごい。特に、生まれたときは見えていて途中から失明した人。
そういう人たちの苦労と苦悩は、自分が一瞬そういう状況に置かれたからこそ、逆に想像を絶するものがある。
眼だけじゃない。いろいろなハンディキャップを抱えながら毎日を生きている人、心から尊敬する。
私だったら、その後も引き続き生きていけるかどうか、かなり怪しい。
五体満足って、健康って、ありがたいことだなぁとしみじみ感じた。
経験しなければ、こんなふうに立ち止まって思いを馳せることもなかっただろう。

だけどもう、嫌というほど理解した。もう十分だ。

眼の手術も全身麻酔も、二度とやりたくない。

結局、主治医の診察に呼ばれたのは昼過ぎだった。

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