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青空、どこまでも(2)

 家に戻ると、妻の里子が夕食の用意をして待っていた。ブータンには、いわゆるダイニングテーブルがない。床の上に座って食事をする習慣だった。胡坐の上にトーラという四角い白い布を広げ、その上にポンチューという竹籠やデムという漆器を置く。日本でいう食器だ。そこに汁気のあるおかず、ツェムが注がれ、山盛りのご飯の上にパーという肉の塊、唐辛子がのる。ブータン料理に唐辛子は欠かせない。それは、韓国人にとってのキムチのようなものだ。野菜も食べる。ホジという、野菜とブータンチーズを和えて味付けしたもの。それらを、箸ではなく右手で食べる。
 ブータンの米は赤米だった。中央アジアの高地やインドで栽培されている米だ。見た目は日本の赤飯に近い。
「近所に、オンディさんとザンモさんっていうご夫婦がいらしてね。夕飯の材料を分けてもらったの。そうじゃなかったら、夕飯抜きになるところだったのよ。ほんと良かったわ」
 わたしははっとした。そうだ、ここには、日本のように八百屋や肉屋はない。ブータン人の生活は一〇〇パーセントの自給自足で成り立っているから、わざわざ商店で買う必要がない。そもそも、ブータン人には「買う」という概念すらないのだ。何か欲しいものがあるときは、物々交換で手に入れるのだと聞いていた。
 里子の細い顔には、うっすらと疲れが滲んでいる。きっと今日一日、村じゅうを歩き回ったのだろう。ブータンには人見知りの人が多いから、知らない人、しかも外国人に自分から話しかけることはほとんどない。昨日今日ブータンにやってきた日本人女性が、慣れないゾンカ語で食料を分けてもらう苦労。それを思うと、胸を焦がされるような気持ちになった。僕ができるだけ早く結果を出すことだ。早く結果を出せば出すだけ、早くこの土地の人たちに認めてもらえる。
 食事をするときでも、頭は仕事モードのままだった。
 鍵は赤米だ。粘り気のある米を口に運びながら、僕は左手で「赤米」とメモした。まずは、主食であるこの米を安定して収穫できるようにしなければならない。だが、ブータンは標高が高すぎて、現在の赤米が育つのは南の地域に限られている。まずは、この赤米の品質を改良し、高地の寒さに強い稲を栽培しなくては。それと同時に、日本の白米の良さも少しずつ広めていこう。となると、やっぱり試験農場が必要だ。
「赤米」「改良」「試験農場」。三つの単語を睨むようにして見ながら、僕と里子はブータンで初めての夕食をとった。

 一週間後、僕は、ブータン政府が見つけてくれた、パロ盆地での試験農場の候補地にいた。農業局が動いてくれないのなら、さらに強い権力である政府に働きかけるしかない。そこで、どこでもいいから試験農場を作れるような土地を探してくれと頼んでおいたところ、一週間後の今日、ついに、候補地が見つかったとの連絡が入ったのだ。
「ここでどうでしょう、ミスター・ニシオカ。少し土地が低いのですが……」
 そこは、パロ城へ向かう道に面した田畑だった。少し狭いようだったが、日当たりや水はけも悪くなさそうだ。耕せば、すぐにでも野菜を植えられる。
 僕は、案内してくれた開発庁の役人に頭を下げた。
「ありがとうございます。十分です」
「それから、近所の少年を数人、実習生としてつけさせていただきます。あなたの作業もはかどるし、何より、将来のブータン農業を継ぐ若者の育成になる」
 無論、僕としても助かる話だった。農業をするのに、人手はあればあるほどいい。彼らを通じて、ブータン人のものの考え方や生活習慣なども知ることができるはずだ。僕は喜びと期待に胸を膨らませた。

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