闘病記 day78

 昨夜、術後初めての発作を経験した。

 指が引きつるように動いているのを感じたのは、左手でスマホをいじっている時だった。倒れた時も、左手で食事をしている時だったから、手を使うことがトリガーになっているのかな、と思った。

 すぐに治まってしまったが、看護師に報告しないといけないと思った。主治医に伝えてもらうためだ。ナースコールを自分のために使用したのも初めてのことだ。「痙攣?!」と叫んでバタバタと出ていったので、同室の人たちも気づいたようだった。

 当直の医師は脳外科ではなかったので、オンコールか分からないけれども連絡をして貰う。出勤は明日の朝、それまでは様子見という回答だったが、その時から12時間は先だった。

 消灯後の暗い病室にひとりで残される。誰もこの状況を共に分かち合ってくれず、同情も届かないところに自分がいるのをはっきりと感じた。
 家族はいたずらに心配させられないから知らせなかった。

 当然のことながら、病と生きるのは自分だけだ。寄り添ってくれる人は、寄り添うことしか出来ないが、どれだけ心強いか分からない。これが誰もいない雑踏の中だったなら自分はどうしただろう。恐らくは、座り込むなり立ち止まるなりしてやり過ごして、不安なままで誰にも縋れずにいたのではないか。

 私はまだ、自分の病気をよく知らないのだと自覚した。生きやすくなるために自ら知識をつけ、自分を助けるすべを学ばないといけないのだろう。そんなことを右手を握りしめながら思っていた。時々動く指先が恐ろしかった。肌の下でずっと神経が痙攣し続けているのが感じられた。

 寝たようにない夜が明けて、主治医と会うことが出来た。状態を説明すると、念のため検査をすることになった。午前の予定は、できるものは病棟で行うことに変えて貰ったが、休むことは許されなかった。あくまでも「大丈夫」という主治医の見解に反して、私は不安しかなかった。
 何故今日、と思ってしまったのだが、午前中の4コマが全て埋まっていたのである。体調が良くても不安になる量をわざわざ発作の翌日で、しかも不安と寝不足で体調が予め優れない時にやることはないだろうと、まともに思った。

 遅くなった昼食の途中で、主治医がMRIの結果を持ってきてくれた。幸いにも新しい病変は認められず、訓練の継続も問題ないだろうということだった。
 かくして午後の予定も、決められた通りに行われることになり、何の情状酌量もなしに完遂せよということになったのだった。

 これがこの先一生、続いてゆくことになる。

 そろそろ退院してからの人生を考えた方がいいのかもしれない、と思った。病と障害と生きることは確定しているのだから。

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