療養記 退院5ヶ月して

 季節が変わるほどの月日が過ぎたことが未だに信じられないのだが、この間退院して5ヶ月目を迎えた。

 脳を切るというのは本当におおごとであったとつくづく思う。未だに手はろくに動かないし、外出して1時間もすれば疲労感が襲ってきて途方に暮れてしまう。出向いて退院のご報告をしたい方が山ほどいるのに、このていたらくである。

 障害ゆえに何が出来ないということは、一般的に知られている「自分は◯◯が出来ません」ということとは全く違う現象である。勉強しても、努力しても、出来るようにはならないところが、決定的に違っている。「機能がそこなわれている」という状態は、故障とよく似ている。

 私はその故障とうまく付き合って生きていく。

 出先で「手が動きません」と言い、人の助けを借りることに慣れた。すみませんと言うことにも慣れた。人の目は案外と不恰好な手足には向かないし、まだはっきりと障害に対して何かマイナスの言動を示されたことはない。それは寛容ではなく、無関心ゆえだと感じている。外出している時、人はそれほど他人には目を向けないのである。だからこそ、差し出された手には有り難みが増す。喜んで縋らないとばちが当たる気がする。

 行動範囲の縮小はある程度、予測はしていた。が、私の期待より遥かに狭かった。友人に会いに飛行機に乗りたくても、主治医の許可が下りない。まだ危険だという。読書も調子の良い時に少しずつ体調をみてするように言われた。脳がまだ大量の情報を処理出来るほど回復していないそうだ。それこそ頭を抱えたくなった。

 頭の左半分がまだ病気なのだから、人としての機能が半減しても無理はないのだろう。余計な落ち込みを避けるために私はそう思うことにした。

 有り難いことに、最寄りの駅とコンビニとドラッグストアが近いところに住んでいる。だから生活水準は下がっていない。あまり重たいものを持つと翌日がつらい程度だ。通院も3ヶ月に1度と、楽なペースに変わった。あとは不自由な体と対話しながら生きていくのみである。

 さいごに。みなさん。頭痛は我慢しないほうがいいです。私は鎮痛剤に頼るあまり、10年物の腫瘍を見逃して障害の残る体になりました。本当に気になったら病院に行くのがお勧めです。仕事を休むか遅刻していくだけの価値はあります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?