闘病記 day49

 右手で字を書く夢を見た。

 麻痺の患者あるあるなんだそうだ。歩き、走る夢を見る、と。その時の私は、すごい速度で何かを黒板に書き写していた。

 起きて手を見る。まだ、夢の中と現世の中間にいるような気がして、右手の指を動かそうとした。もちろん、微動だにしない。そうだよね、と苦笑する。でも、久し振りに右手を使って何かをしたという記憶は残った。辻褄の合わない話ではある。

 午前中にシャワー浴の予定だったが、次のリハビリまで30分しかなかったため翌日に回して貰った。片手がうまく使えないということは、あらゆることに時間がかかるということでもある。

 慌てて転ぶほうが病棟にとっても宜しくないので、その提案はすんなりと受け入れられた。雨天のため、歩行訓練は廊下に変更。病棟での杖の使用を提案される。やってきたことが実る瞬間だ。

 こんなすごいことは、家族には伏せておこう。いきなり杖をついて登場してやれ、と密かに決意した。

 言語の訓練には、看護学校から実習に来られた方が見学でついた。毎回、笑いながら訓練をするので、さぞかし興味が湧いたと思うが、これは言語聴覚士の先生と私の組み合わせで起きる、特別な化学反応なので参考にはならない。代わりに、ワーカーと看護師さんで同じ方へのアプローチが違うことによる、チーム医療の利点をお話して誤魔化した。遊んでいればリハビリになるという風に伝わっていなければ良いのだが。

 病気になってから、何度、自分のことを話したか思い出せないくらい多い。これだけは予想していなかったことであり、自分が就いていた職業がそれなりに人から尊敬されるものだったということも体感している。これまでの人生を振り返ることが出来ただけでなく、自分の中で整理し、組み直しているような気すらする。倒れることはある程度、確定要素だったと思うが、その後のことは、全てが出会った人たちと関わることによって生まれていると感じる。

 これは私に必要な気づきだったと、今は思う。

 単に病を得ただけではなかった。

 

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