orchstral the ambient carnival U③
みなさま毎度ありがとうございます。
本日もただ思ったままにカタカタとやっていきたいと思います。
今回は「空白の6年間」について。
その前に音源ばかりリリースしてる感じがするので補足すると
ライブはちょこちょこやっている。
ラスボス主催のライブや、密室系の聖地本八幡ルート14での図らずもワンマンなど意外にちょこちょこライブ活動は行っていた。
そんな前置きはいいとして、今回は順風満帆な気がしていた我々にもついに業界恒例の影が忍び寄ったという若干闇深めだけどすごく簡単なお話。
前回の続きにはなるが大の大人4人が雁首揃えてセールスも期待できないフルアルバムに着手を始めたというところから。
浮足立った我々はそれはもうひたすらに曲を作りまくった、もちろんアキも作ったし、ラスボス・カミトもメロ作ったりしてくれた。
この時何を思ったか、共通認識で
「我々はつまるところシューゲイザーである」
という謎のイデオロギーが流行し、すっかり靴を見続けて轟音で弾くことが良しとされていた。
されていたのだが、実際シューゲイザーを本気でやろうとすると楽曲として破綻してしまう。
それがこの頃の我々の限界であった。
「ええい、ままよ。
気持ちだけシューゲイザーであれば概念としてシューゲイザーなんだよ。
異論は認めない。」
などとのたまい、すっかりシューゲイザーって言っておけばかっこいいみたいな風潮が我々にあった。
痴れ者が。
しかし痴れ者なりに一生懸命シューゲイザーをやったのが1曲目の
「my bloody 32th summer day」
である。
…盗人猛々しい、人のふんどしで相撲を取って何が楽しいのか。
挙句の果てにはジャケットもこの様相である。
ふてぶてしいにも程がある。
まあそんなことはさておき、順調にレコーディングを進めていく我々。
一番最後にみぎーがギター録音して小さじばかりのシューゲイズをパラリとして完成したのでした。
これはただの思い出なのですが、このアルバムはカミトがミックス・マスタリングをしてくれていて
明日この曲ミックスするよーってタイミングで私、妙なアレンジをして尺を変えたのです。
そして立ち合いに行ったところ床にベースがぶん投げられていて
完全にふて腐った男がそこにいました。
「変えるなら言ってよ」
ラスボスからそう発せられたらこっちはもうご機嫌伺しかできない。
いそいで近所のスタバまでいきフラペチーノを献上したのも今となってはいい思い出だ。
話を戻すとデザイン関連はみぎーがやってくれ、しっかりフライヤーも用意し
ジャケットも初回限定トールケース仕様、ステッカー付、盤面もかっこよくばちっと印刷。
※ばちっと誤植あり。
もうこれ以上ないほどの準備万端状態で今は亡き原宿のcloset childまでみぎーと納品。
この時点でもまだ信じてる。売れることを。
だってとんでもない満足感だった、自信作だった。
これが売れないなんてどうかしてる。
なんて本気で思ってた。(たぶん二人だけ)
本当に本当に満足をしてしまった。
これが2013年の話。
そんな中、カミトがとある事情で居を遠くに移すことになる。
それはそれはショックだった。
これからだという時に、、と本気で落ち込んだが最終的には本人より大事なものはないので飲み込んだりした。
だけど色々あって脱退ということになった。
前述のとおり、本当に満足してしまった我々は身動きが取れなくなった。
正確に言えば熱量を保てなくなってしまったのです。
簡単に言えば空中分解、誰からも確信めいた言葉もなく実質活動は完全に停止した。
僕は僕でみぎーと新バンドをはじめ、
おそらくそれにむかついたであろうアキも新バンドやカミトとユニットをはじめ
バンドは二つともほんと秒で解散した。
ね、簡単でしょ。
この満足と意味の分からない不和で6年、6年も連絡もまともに取り合わなかった。
ほんとただ、それだけの話。
プライドが許さないとか、俺は許してない、とかそんなんじゃなくて
誰もが心の片隅にこのバンドを超えられないと何故か悟りながらも地道に自分の活動を進めていった。
そりゃ別の物やってるわけだから超えるも何もないのだけどね。
そして2019年の初めのほう、アキから僕にLINEがきた。
アキ「おっさん久しぶりやで、今度東京でライブやるわ、一人でwww」
ワイ「久しぶりやな、クソガキが。じゃあotacuでやったらよくねwww」
たったこれだけで我々は活動を再開した。
単純である。
そしてなんだかんだみぎーもできない状態になっていたので、
サポートメンバーを迎え、川崎セルビアンナイトでライブを行った。
もちろん場内閑古鳥だった。
6年も熱心に待ってくれてる人なんてなかなかいないわな。
いや、いたんだけどさ。ほんとにありがたいね。
それでも、間違いなく再スタートを切ったのです。
その後、ほどなくしてカミトも再合流し、大阪でもライブやったりした。
当然、閑古鳥。
もう勘弁してつかーさい。
ただ、僕らは3人とも「久しぶり」とか「元気だった?」
なんて言葉は一切なく、ふつうに「よお、そこ右だわ」みたいな合流をした。
インド人を右に
ただ、ここまではまだセカンドシーズンの始まりではなく、ファーストシーズンの「続き」だった。
本当のセカンドシーズンはシングル「LOVELESS」「ECUREUIL」で、
現在はサードシーズンにあたると勝手に思っています。
なんでか若干暗めな内容になってしまったけど、いわゆる、シャイな男たちの群像劇であって
バンドの歴史を語るなんて大層なことじゃないのです。
全四回にしようとおもったけど、もうちょいあるな・・・
とにかく、我々は大阪のライブをやってまたしても活動を止めた。
でも前みたいな感じじゃなく、普通に止めた。
普通に止めたってなんだよって話だが文字通り当たり前の様に止めたのです。
それから一年ほど経って、例のごとくアキがペケペケギターと共にメロディーを乗せたデモを送ってきた。頼むからdemo環境を充実させてくれ。
コードすらわからん。
それが「LOVELESS」だった。
ここからの我々は完全にセカンドシーズンとなり、手前味噌ながらめちゃめちゃいい曲を作るバンドにシフトしていった。
シューゲイザー?忘れたわ。(面影だけを残して―。)
それでは今回はこのあたりで。
次回「続・またしても活動停止、そして」
無理やり次回で最終回にさせると強く意気込む。
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