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熱烈なサポーターから、旅人へ変わる転機となった日

「オー フロンターレ オー カーワサキ オーオー」

サッカーJ1川崎のフロンターレの試合を、ホーム・アウェイ問わず全国各地へ観戦に行って応援する熱烈なサポーター。以上。それがかつての私の姿だった。

転機は2009年

2009年までの私は、川崎フロンターレ以外には特に趣味も興味もなく、川崎フロンターレの試合に合わせて全ての予定を調整するフリーター生活を送っていた。また全国各地へ行ったといっても、基本的には低予算で、感覚としては旅というよりも学生の部活の遠征に近い。

転機が訪れたのは2009年。この年、川崎フロンターレが2度目のサッカーAFCアジアチャンピオンズリーグ(以下ACL)に出場する。つまり日本国内以外で川崎フロンターレが公式戦を戦うということで、応援へ行く我々熱烈なサポーターも同様に日本を飛び出し、海外まで足を運ぶ必要が出てくる。ちなみに1度目は2007年、当時高校3年生だった私には、さすがに海外まで行けるような資金力は無かった。

子どもの日なので忘れない

そして迎えた5月5日(子どもの日)。この日は川崎フロンターレが中国代表の天津泰達と中国・天津でACLの試合を戦う日。

真新しいパスポートを手に、成田空港から北京経由でいざ戦いの地である天津へ。そして待っていたのは、当時の私には衝撃的なことの連続であった。多すぎて書ききれないが、一番はやはり中国公安の方々に囲まれながらの応援。

・中国公安って、日本でいう警察官みたいな人たちだよな。(当時の私のイメージ)
・そんな人たちに囲まれて応援なんてやばい、やばい、やばすぎる!
・海外ってこんなことが経験できるのか!?

大袈裟に聞こえるかも知れないけど、本当にこんな感じだった。

2009年5月5日子どもの日。この日が私の人生を変えた日である。

原体験の旅のその後

翌2010年4月、私の姿は都内の専門学校にあった。衝撃の体験から"海外"への魅力に引き寄せられ、旅行を専門的に学び始めていたのだ。

もしこの時、中国・天津まで行っていなければ、旅が好き、世界遺産が好きな現在の私はいなかっただろう。

くろ(旅*世界遺産のライター)


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