見出し画像

パブリックとプライベート(初出2005年07月13日)

以前、総長の資格で、B-Pが書籍として彼の考えを残してくれたことについて書いてみました。現在の日本におけるボーイスカウト運動の文献・文書が「作られていない」「残されていない」「伝わってこない」ことと対比してみると、現状の日本のボーイスカウトの問題点は、この文書・文献がないことによることが大きいのではないかと考えはじめていました。

そんな中、通勤電車で読んでいた本に、このことを証明してくれるような記述を見つけました。その本は、これ。

原稿用紙10枚を書く力
斎藤 孝

大和書房 2004-09
売り上げランキング : 14,102
おすすめ平均


amazonで詳しく見る by G-Tools

題名通り、書く力をつけるにはどうしたらよいのかを、しっかりと説明してくれている本なのですが、この中に次のような記述があります。

「話す」ことは基本的にプライベートな行為である。それに対して、「書く」という行為は、話すことのようにその場で消えてしまうのではなく、文字として残る。そのことによって、「書く」ことは公共的(パブリック)な行為になる。(39ページ)

この言葉と日本のボーイスカウトの現状を考えると、なんとなく見えてくるものがあるように思えます。もしかしたら、ボーイスカウトは結局プライベートの域を超えずに今に至ってしまったのかもしれないと感じました。

本来、「社会教育」の範疇にはいるべきボーイスカウトは、社会における公共性の一端をになっていたはずなのに、プライベートな作業を繰り返してきてしまったがために、社会においてもプライベートな存在になってしまったのではないか。

じゃあ、プライベートからパブリックへの転換のためには、まず「書け」ばいいのではないか。まさにスカウティング研究集会開催の意識そのものですし、研究センターでストックを集めようと考えてる理由そのものなのでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?