アインシュタインさんとフロイトさんの対話で感じた事
アルバート・アインシュタインさんとジグムント・フロイトさんとの手紙のやり取りを記した、【人はなぜ戦争をするのか】という本を読み、書いてあることをザックリと紹介しつつ、思ったことを書こうかと思います。
【アインシュタインさん】
『すべての国家が一致団協力して、一つの機関を創り上げ、その機関に国家間の問題についての立法と司法の権限を与え、国際的な紛争が称した時にはこの機関に解決を委ねればいい。
個々の国に対しては、この機関の定めた法を守るよう義務づければ良い。
国と国の間に紛争が起きた時は、必ずこの機関に解決を任せ、その決定に全面的に従うようにする。そして、この決定を実行に移すのに必要な措置を講ずるようにすると良い』
『けれども現状ではこのような国際的な機関を設立するのは困難。判決に絶対的な権威があり、自らの決定を力尽くで押し通せる国際的な機関、その実現はまだまだ。
そうだとしても、各国が主権の一部を完全に放棄し、自らの活動に一定の枠をはめなければ、国際的な平和はのぞめないのではないか。』
『なぜ平和が、実現しないかは、人間の心自体に問題がある。人間の心の中に、平和への努力に抗う種々の力が働いているのだ。本能的に、相手を絶滅させようとする欲求が、心の奥底に眠っているからではないのか?フロイトさんその辺どうですか?』
【フロイトさん】
『ほぼアインシュタインさんの言う通り。利害の対立を暴力で解決しようとするのは動物としては結構普通のこと。解決方法を暴力なし(法の支配)にするためには団結が大切。団結に必要なことは感情の絆、一体感。昔のローマは戦争で平和になった例もある。だけど長続きはしない。』
『人間の欲動は、保持し統一しようとする欲動と、破壊し殺害しようとする欲動の二つがある。どちらが善か悪かと決められるものではない。人と人の感情の絆を作り上げ、優れた指導者が出てくれば戦争を阻むことが出来る。ただしそれは難しいこと。だとしたら、人間の欲動を理性でコントロールすればいい。感情の絆は消えるかもしれないけれど、人間の社会はいつまでも完全な一体化を見せる。しかしそれもユートピアな希望にすぎない』
『心理学的な側面から眺めてみた場合、文化が生み出すもっとも顕著な現象は二つ。一つは、知性を強めること。力が増した知性は欲動をコントロールしはじめる。二つ目は、攻撃本能を内に向けること』
『文化の発展が生み出した心のあり方と、将来の戦争がもたらすとてつもない惨禍への不安。この二つが近い将来、戦争をなくす方向に人間を動かしていくと期待できるのではないか』
【思ったこと】
フロイトさんの言う『近い将来』がいつ頃をイメージしたか分かりませんが、どうやらまだ世界から戦争がなくなっていないようです。
僕は戦争未経験者ですが、戦争に対するイメージは、戦争を主導するリーダーと、犠牲者となる庶民がいる。
でも、リーダーも庶民も人間なのだから、リーダーの魔力ってのがあるのかな?とも思います。
システム的には、国連とかG7とかがしっかり機能するように、知性と理性があり、破壊し殺害しようとする欲動が低い、(そしてリーダーの魔力に憑りつかれない?)リーダーたちが出てきてくれる事が必須かなと思います。
最近、野良猫たちと仲良くしているのですが、野良猫たちは、おそらく縄張り争いなどで、喧嘩をし、血を流していることもあります。だけど、目を引っ搔いたり、喉を嚙みちぎったりという致命傷になるような攻撃は、どうやらしません。(僕の見る限り)とすれば、人間の方が、知性が低く、理性が弱いのかな?と思ったりします。
戦争に対するもう一つのイメージは、『正義のために戦争をする』
だとすれば、正義ってのも危険なものだなって思います。
どこまでいっても、自分が間違っているかもしれない。と考える事が大切かな?そのためには、そういう教育をしていく、そういう教育ってのは、色々な思想や哲学や正義が存在している。一つではない。という事を知る事。だから哲学を義務教育に入れると良いのかな?と思ったりします。
なるべく、欲張りすぎず、穏やかに、丁度よく生きていきたいものです。
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