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ピエトロ・アレティーノ『ラジョナメント』第3回(毎週月曜更新)

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ナンナ もはや扉は閉ざされた。あっという間のことだったから、血のつながった人たちに「さよなら」を言う暇さえなかったの。生き身のまま墓に入るものと、わたしは覚悟を固めたわ。戒律と断食のせいで死んだようになっている女たちを目にするものと思ってたのよ。だからわたしは家族のためでなく、自分自身のために、涙で頬を濡らしたの。歩を進めるあいだ、ずっと瞳を伏せたまま、心のなかで、これから自分の身に起こるであろうことを思い浮かべていた。やがて食堂にたどりつくと、修道女の一団が駆け寄ってきて、わたしを抱きしめたの。さっそくわたしを「妹よ」なんて呼ぶものだから、わたしはちょっぴり顔を上げたわ。健康そうでつやつやした、血色の良い修道女たちの顔つきを眺めて、わたしはすっかり元気づけられた。そして、女たちの様子を念入りに観察してから、心のなかでこう呟いたわ「きっと悪魔も、絵画に描かれるほどには醜くないのね」。しばらく食堂で待っていると、いよいよ、修道士や司祭たち、それに世俗信徒の一群がお出ましになったの。誰もかれもが、これまでに見たこともないくらい優雅で、上品で、陽気な若者たちだった。それぞれの女友だちの手をとった彼らの姿は、天上の舞踏会を催す天使たちのように見えたわね。

アントーニア 天国に口出しするのはよしなさいな。

ナンナ ニンフと冗談を交わし合っている恋人たちのようでもあったわよ。

アントーニア そっちの比喩の方がふさわしいわ。じゃ、つづけて。

ナンナ 修道女の手をとった男たちは、この世でいちばん甘ったるいキスを女たちに浴びせはじめたの。誰がいちばん甘美なキスを与えられるか、たがいに競い合ってたのよ。

アントーニア それで、あなたの見たところ、いちばん砂糖の効いたキスをしたのは誰だったのかしら?

ナンナ 修道士たちよ、間違いなく。

アントーニア それはどうして?

ナンナ そのわけは、『ヴェネツィアの彷徨える娼婦』[Lorenzo Venier, "La puttana errante"への仄めかし]の物語に書いてあるわ。

アントーニア それからどうなったの?

ナンナ それから、かつていちどもお目にかかったことがないくらい、優雅で上品な一脚の机のまわりに、男も女も腰をかけたの。いちばん奥の名誉ある席に女子修道院長さまが座り、その左手には修道院長さまが控えていたわ。女子院長につづけて、宝物庫管理人を務める修道女の姿があり、その隣には学士候補生が座っていた。その正面には聖具室の番をする修道女が、さらにその隣には修練者たちの先生がいたわ。そんな風に次から次へと、修道女や修道士や世俗信徒が連なって、テーブルの端にたどりつくまでにいったい何人の侍者や見習い修道士が並んでたんだか、見当もつかないほどよ。わたしはというと、説教師と聴罪司祭のあいだに自分の居場所を定めていたの。そうして食事が運ばれてきたんだけど、これがまた、(思い切って言っちゃうわよ)教皇さまだってかつて一度も食べたことがないような、たいへんなご馳走なの。みんなが一斉に料理に飛びかかると、お喋りは部屋の片隅へ追いやられたわ。まるで、神父たちが食事する部屋に貼ってある「静粛に」って張り紙が、一人一人の口のなかを占領してしまったようだった。いや、占領されたのは、口というよりむしろ舌ね。だってあの人たちの口は、葉を貪り、たっぷり栄養を取って、ぐんぐん成長していくお蚕さんの口とまったく同じように、むしゃむしゃと喧しい音を立ててたんだから。そう、まさしく、蚕が貪り食う葉っぱを茂らす木の下で、あの哀れなピュラムスとティスベー[オウィディウス『変身物語』第4巻55-166参照]は逢瀬を楽しんでいたのよね。主が此岸で二人とともにあったように、彼岸でもまた二人の隣におられますように。

アントーニア あなたが言ってるのは、白い桑の葉のことよね。

ナンナ あっはっは!

アントーニア ちょっと、いきなり笑いだして、どうしたのよ?

ナンナ あの、やくざ者の修道士のことを笑ってるの。主よ、どうぞお許しください。この男は、臼のような両顎で食べ物を挽いているあいだ、ラッパ吹きみたいに頬をいっぱいに膨らませておりました。それから、フィアスコ[麦わらやトウモロコシの皮が巻いてある首の細長いびん]を口に押し当てると、そのまますっかりワインを飲み干してしまったのです。

アントーニア 主よ、彼を溺れ死にさせたまえ。

ナンナ やがてお腹が膨れてくると、連中はお喋りを始めたわ。正餐の最中だというのに、わたしはまるで、ナヴォーナ広場の市場のど真ん中にいるような気分になった。あちらこちらで、あれやこれやの買い物客が、これやあれやのユダヤ人と取り引きしながら大声を張り上げているみたいだったのよ。食欲がすっかり満たされると、今度はあの人たち、鶏の手羽先やら、トサカやら、頭やらを選んで口にくわえ、あたかも、ツバメが雛に餌をやるような仕方で、男は女へ、女は男へと、くわえたものを差し出しはじめたの。雄鶏の尻が運ばれてきたときにあたりに響いた笑いと叫びを、あなたにどう説明してあげたらいいかしら。その尻をめぐって繰り広げられた諍いは、口ではとても表現できそうにないわ。

アントーニア なんとまぁ、ろくでもない。

ナンナ 修道女が鶏肉のかけらをくちゃくちゃと噛み砕き、それを男友だちへと口移しにしてやってる姿を見たときには、吐き気を覚えたわよ。

アントーニア どうしようもない連中ね。

ナンナ 今や食べる悦楽は倦怠へと変わっていた。ほら、アレもやっぱり、終わった途端に嫌気が差すでしょ。それと同じよ。そこでみんなは、ドイツ人の真似事をして乾杯を始めたの。修道会の総会長は、コルシカのワインに満たされたグラスを手に持つと、自分のあとにつづくよう女子修道院長に勧めつつ、あたかもその中身が聖体用の偽ワインであるかのごとくに、一気に飲み下してしまったわ。あまりにも飲みすぎて、みんなの目はもう、鏡の表面のようにきらきらと光を放っていた。おまけに、息をはきかけられたダイヤモンドみたいに、ワインの酔いに瞳がうっすらと覆われていたから、男も女もあと一歩で、料理の上へとまどろみながら崩れ落ち、テーブルをベッドに変えて、そのまま目を閉じてしまうところだったのよ。ところがそこに、可愛い顔をした一人の少年がやってきたの。この子の手に抱えられた大きな籠には、わたしがそれまでに一度も見たことのないような、すばらしく白く、すばらしくきめ細やかなリネンの布がかけられていた。あの布は雪だったの? それとも霜? それともお乳? なんたって、十五夜の月よりもっと白かったんですからね。

アントーニア その籠、いったいなんなのよ? 中にはなにが入っていたの?

ナンナ まあ、待ちなさいって。ナポリの宮廷で流行っているスペイン風のお辞儀をしてから、少年はこう言ったの「ご主人さまがた、奥方さまがた、ご機嫌うるわしゅうございます」。それから、こう言い足したわ「かくも晴れやかなる集いのために、一人の召し使いが皆さまに、地上の楽園の果物をお届けいたします」。そうして布を取り除けると、籠をテーブルの上に置いたのよ。すると、もう、雷みたいな笑い声が炸裂したの。いえ、むしろ、どっと笑うあの人たちの様子は、臨終の床にある父親がついに目を閉ざしたことに気がついて、わっと泣き叫ぶ家族の姿に重なって見えたわね。

アントーニア 見事で自然な比喩ね。

つづく

(翻訳:栗原俊秀)

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