ピエトロ・アレティーノ『ラジョナメント』第2回(毎週月曜更新)
(前回から読む)
アントーニア ばっちりよ。さぁ、始めて。
ナンナ わたしはね、娘という災難をこの体から引きずり出してくださった閣下の魂を、呪ってやりたい気分なの。どこの誰だか、名前は言いたくないけれど。
アントーニア やだ、かりかりしないでよ。
ナンナ わたしのアントーニア、女の人生にとってはね、修道女と、妻と、娼婦というのは、一つの十字路のようなものなのよ。あなたはそこへたどりつくなり、いったいどちらに足を踏み出そうかと、頭を悩ませることになる。そしてたいてい、悪魔がいちばん悲惨な方へ、あなたを引きずっていってしまうわけ。あの日だってそうだった。わたしの父の祝福された魂は、麗しい記憶のなかに今も生きる母の意図に逆らって、わたしを修道女にしようと決めたのよ。母については、あなたもどこかで聞いたことがあるでしょう?(ああ、たいした女だったわ、本当に!)
アントーニア ほとんど夢のなかで知ったようなものよ。ディエトロ・バンキ[多くの娼館が集まっていることで有名だった場所]であなたのお母さんが奇跡を起こしてたって話なら、聞いたことあるわよ。あなたのお父さんは警吏の一員で、あなたのお母さんと恋に落ち、二人は結婚したのよね。
ナンナ お願い、哀しい記憶を甦らせないで。あんなにも立派な夫婦を失ってからというもの、ローマはもう、かつてのローマではなくなってしまったのだから。さて、話を戻すと、五月の始めの一日、マリエッタ夫人(これが母の名前だったの。もっとも周りはお世辞のつもりで、「きれいなティーナ」って呼んでたけど)とバルビエラッチョ氏(父はこんな名前だったわ)は、親戚一同をひとり残らずかき集めたの。叔父、叔母、従兄弟、従姉妹、甥、姪、兄弟、姉妹、それにくわえて、大勢の男友達や女友達もね。わたしは両親に手を引かれ、これから入れられることになる修道院の教会へ連れていかれたわ。絹の衣服を全身にまとい、灰色の琥珀のロザリオを首にかけ、処女であることを示すために薔薇と菫の花輪が刺繍された金色の頭巾をかぶり、香水を染み込ませた手袋をはめ、ビロードの履物に足をとおしていた。わたしの記憶が確かなら、あのとき首にかけていた真珠や身にまとっていた衣服のすべては、その少し前に改心者のための修道院に入ったパニーナ[ローマに実在した高級娼婦]のものだったのよ。
アントーニア 間違いなくそうでしょうね。
ナンナ まさしく、まさしく、ひとりの花嫁のように飾られて、わたしは教会のなかへ入っていったの。そこは数えきれないほどの人でごった返していて、わたしが姿を現わすなり、全員がこっちを振り返ったわ。ある人は、こんなことを言っていた「主はなんと美しい花嫁を娶ることか」。別の人はこう「こんなにも美しい娘を修道女にするとは、いやはや、もったいない」。別の誰かはわたしを祝福し、また別の誰かはわたしの姿を目で堪能し、さらに別の誰かはこう言った「今年は修道士にとって、良い年になりそうじゃないか」。けれどわたしは、こうした言葉の裏に潜む悪意には気づかなかった。すると、どこからか焼けつくように激しいため息が聞こえてきたの。わたしはすぐに、恋人の心臓から飛び出してきた音だって気がついたわ。あの人ったら、司祭たちが祭式を執り行っているあいだ、ずっとめそめそ泣いてたのよ。
アントーニア なんですって? あなた、修道女になる前から恋人がいたの?
ナンナ いない方がどうかしてるでしょ。でも、清い交際だったわよ。さて、わたしは並み居る女たちのいちばん端に腰をかけたわ。しばらくすると、ミサの朗唱が始まった。そこでわたしは、母のティーナと、叔母のチャンポリーナのあいだで、身をかがめ膝をついたの。それから、ミサの侍者がオルガンの音色に合わせ、短い一節を歌い上げたわ。ミサが終わると、祭壇の上に置かれていたわたしの修道服に祝福が捧げられた。ミサで使徒書簡を読んだ司祭と、福音書を読んだ司祭が、祭壇の上へわたしを導き、大祭壇の前の台座にあらためて膝をつかせたの。そこで、ミサ曲を歌った司祭がわたしに聖水を振り撒き、ほかの司祭たちといっしょになって、「テ・デウム」の賛歌を歌い、ほかにも、たぶん詩編の一節を何種類も、いつまでも延々と唱えつづけていたわ。こうしてわたしは、世俗という衣服を剥がれ、霊的な衣服をまとわされたってわけ。このとき、教会のなかの人々は押し合いへし合い、たいへんな騒ぎを引き起こしたの。まるでどこかの女が、狂気のためか、絶望のためか、あるいは悪意のために立て籠もりを決行したときの、サン・ピエトロやらサン・ジョヴァンニやらの中にいるみたいだったのよ[それぞれ、サン・ピエトロ大聖堂とサン・ジョバンニ・イン・ラテラーノ大聖堂。この当時はまだ、現在の姿とは異なる]。わたしも昔、似たような真似をしたことがありますけど。
アントーニア あぁ、まったく、教会のなかの騒ぎが目に映るようだわ。
ナンナ 祭式が終わると、「ベネディカームス」だの「オレームス」だの「ハレルヤ」だのといった文句といっしょに、わたしの周りで香が焚かれ、賽銭箱が鳴らすのとすっかり同じ耳障りな音を響かせながら扉が開いたの。そこでわたしは立ち上がり、扉の方へしずしずと歩いていった。扉の近くでは、20人くらいの修道女といっしょに、女子修道院長がわたしを待ち構えていたわ。わたしは院長を目にするなり、彼女に向かってしとやかにお辞儀してみせた。院長がわたしの額にキスをして、わたしの両親や親戚に向かって何か語りかけると、みんなはわっと泣き出してしまったの。扉があっさりと閉ざされると、その瞬間に誰かが「ああ!」という叫びを上げ、みんなの耳に響き渡ったわ。
アントーニア その「ああ!」って、どこから聞こえてきたのよ?
ナンナ 気の毒なわたしの恋人から。あとで聞いた話が本当なら、その翌日にはあの人、木靴を履いた跣足派の修道士だか、托鉢の隠修士だかになっちゃったのよ。
アントーニア かわいそうにねぇ。
(つづく)
(翻訳:栗原俊秀)
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