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ピエトロ・アレティーノ『ラジョナメント』第1回

アントーニアとナンナ

第一日

アントーニア どうしたの、ナンナ? そんな風に物思いに沈んだ顔が、世界を統べる女に似合うと思う?

ナンナ 世界、ですって?

アントーニア そう、世界。くよくよするのは、わたし一人でじゅうぶんよ。わたしの相手をしてくれるのはフランス病[梅毒]だけ。犬だってわたしには吠えかからないわ。わたしは貧しく、傲慢な女なの。わたしは貪欲ですと告白したところで、精霊にたいし罪を犯したことにはならないでしょうよ。

ナンナ わたしのアントーニア、誰にだって悩みはあるのよ。あなたには悦びの棲み処のように思える場所にだって、たくさんある。あなたには信じられないくらい、たくさんあるの。そう、わたしの言うことを信じて、信じてちょうだい。この世界は腐ってるのよ。

アントーニア 仰るとおり、この世界は腐ってる。ただし、それはわたしにとってであって、あなたにとってじゃない。あなたは鶏のお乳まで飲む身分じゃないの。広場でも、居酒屋でも、どこに行ったって聞こえてくるのは、ナンナがどうした、ナンナがこうした、そんな話ばっかりよ。あなたの家はいつだって、卵みたいに中身がぎっしり詰まってる。ローマ中があなたの周りを取りまいて、聖年のときのハンガリー人みたいに、モレスカダンスを踊ってるんだわ。

ナンナ それはそうよ。それでもわたしは満たされないの。なんだか、結婚式の宴の席の花嫁になったような気分なのよ。目の前にはたくさんのご馳走があるし、お腹もとっても減っていて、そのうえ、いちばん上座に腰かけているというのに、なにしろお行儀が良いものだから、料理に手を伸ばす気にならないの。そう、そうなのよ、アントーニア、心ここに在らずなの。ああ、もうたくさん。

アントーニア うんざりしてるの?

ナンナ 辛抱しなきゃね。

アントーニア あなたがうんざりするなんて、間違ってるわよ。ごらんなさい。主はあなたに、うんざりする理由なんて与えちゃいないわ。

ナンナ なによ、わたしがうんざりしたらまずいわけ? 娘のピッパが十六歳になったから、身の振り方を決めてやらなきゃいけないのよ。ある人はこう言うわ「修道女にしなさいな。持参金が三分の一で済むし、暦に一人、聖人をつけくわえられますからね」。別の人はこんな風に言う「夫を持たせてやりなさいよ。どっちにしたって、あなたはお金持ちなんだから、娘がいなくなったって、財産が減ったことにも気づきやしないわ」。また別の人は、ピッパをすぐにでもコルティジャーナ[高級娼婦]にしろと勧めてくる。その人の言い分はこうよ「この世は荒みきってる。けれど、たとえ世界がもう少しまともな場所だったとしても、どっちにしたってピッパはコルティジャーナになるべきだわ。今すぐあの子を、貴婦人に仕立てあげなさい。あなたが持っている財産と、ピッパがこれから稼ぐであろう財産を合わせれば、あの子はあっという間に女王さまになれるわよ」。そんなこんなで、わたしの頭はすっかり混乱しているの。これであなたにも分かったでしょ。ナンナにだって悩みがあるのよ。

アントーニア 甘っちょろい悩みなのねえ。そんなのは、夜中に暖炉のそばに腰かけて、靴下をずり下ろし、足をぼりぼり掻くのを喜びとしてるような女にとってのひとつまみの疥癬よりも、はるかに甘っちょろい悩みだわ。よく聞きなさい。悩みとは、小麦の値段が上がるのを見ることよ。苦しみとは、ワインが足りないと気づくことよ。痛みとは、家賃を支払うことよ。死とは、年に二度も三度も樹脂から作った煎じ薬を飲みくだし、それなのに腫れからも、膿みからも、痛みからも解放されないことなのよ。そんなちまちましたことにあなたが悩んでいたなんて、わたし本当にびっくりしちゃう。

ナンナ どうしてあなたがびっくりするのよ?

アントーニア だってあなたは、ローマ生まれのローマ育ちなんだから、目をつぶったままだって、ピッパにかんする悩みごとくらい片づけられるはずだもの。ねえ、あなたは昔、修道女だったんでしょう?

ナンナ そうよ。

アントーニア 旦那を持ってたこともあったわよね?

ナンナ いたわね、そんなのも。

アントーニア あなたはコルティジャーナじゃなかったかしら?

ナンナ そうだったし、今でもそうよ。

アントーニア それなら、三つの身分のうちからいちばん良いものを選ぶためには、自分の胸に訊いてみるだけでじゅうぶんじゃないの?

ナンナ それが、だめなの。

アントーニア だめって、どうして?

ナンナ だって今では、修道女も、妻も、娼婦も、昔とは違った人生を生きてるんだもの。

アントーニア あっはっは! 人生の生き方は、いつだって一通りしかないわ。人はいつだって食べてきたし、飲んできたし、眠ってきたし、夜更かししてきたし、うろうろしてきたし、じっとしてきたの。そして女たちはいつだって、あそこの割れ目から小便してきたのよ。どうか、お願い。あなたの時代の修道女と、妻と、コルティジャーナが、いったいどんな生活を送っていたのか、わたしに話してもらえないかしら? もうじきやってくる四旬節のために、お参りしますと誓いを立てた七つの教会の名にかけて約束するわ。あなたのピッパをどう片づけるべきか、これをかぎりに、わたしがきっぱり解決してあげる。さあ、賢明なる女学者さま、まずはわたしに、娘を修道女にすることをためらう理由を教えてちょうだい。

ナンナ そうねえ……。

アント-ニア ちゃんと話してね、お願いよ。どっちにしたって、今日はわたしたちの守護聖女マグダラのマリアさまの祝日なんだから、やることは何もないでしょ。それに、たとえ働かなきゃいけなかったとしても、三日分のパンと、ワインと、塩漬け肉なら、わたしは持ってるわよ。

ナンナ そう?

アントーニア そうですとも。

ナンナ それじゃ、今日はあなたに、修道女の生活について話しましょうか。明日は妻の、明後日は娼婦の生活について話すわね。わたしの隣に座って、どうぞ、くつろいでちょうだい。

つづく

(翻訳:栗原俊秀)


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