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ピエトロ・アレティーノ『ラジョナメント』第4回(毎週月曜更新)

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ナンナ 女の手や男の手は、さっきからもう、かばんの中身を掠めとられていることにも気づいていない、間抜けのポケットを探る掏りのように巧みな手際で、おたがいの太腿やら、乳房やら、頬やら、筒やら笛やらをまさぐり合ってたの。ところが、その天国の果物が姿を現わすやいなや、聖母マリアのお清めの祝日に、柱廊から投げられる蝋燭に向かって身を投げる見物人たちのような勢いで、みんなの手はその果物に襲いかかったのよ。

アントーニア その果物ってなんだったの? なんなのよ? 早く言ってちょうだい。

ナンナ それはね、ヴェネツィアのムラーノ島で作られているガラスの果物だったのよ。形は「K」にそっくりだったわ[男根を意味する「カッツォ(cazzo)」への仄めかし。古イタリア語では、アルファベットのKは「カ」という名前だった]。ただし、あらゆる大きなタンバリンに威容を添えることであろう、二つの鈴がくっついていた点を除けばね。

アントーニア あっはっは! 何が言いたいのか分かったわ。もう、すっかり把握したわよ。

ナンナ いちばん大きくて太いやつをつかんだ修道女は、運が良かったなんて言葉じゃ足りない、むしろ、祝福を捧げられたと言うべきよね。その女は夢中になって自分の果物にキスを浴びせ、こう言ったの「この果実が、肉の誘惑を鎮めてくれるわ」。

アントーニア 悪魔が彼女の種を根絶やしにしますように。

ナンナ 内気を装っていたわたしは、果物の方へちらちらと視線をやった。まるで、瞳では下女を見つめながら、爪では下女がうっかりと置きっぱなしにしていた肉をつかもうとしている、ずる賢い猫になったみたいだった。あのときもし、わたしの隣に座っていた修道女が、果物を二つ手に取り、その一つをわたしに譲ってくれていなかったなら、周りから間抜けと思われないためにも、わたしは自分の分をつかんだと思うわ。さて、話を端折りますと、笑ったり喋ったりしながら女子修道院長が立ちあがったので、ほかのみんなもそれに倣ったの。そのとき女子院長が食卓へと捧げた「ベネディチテ[感謝の祈り]」は俗語だったのよ。

アントーニア 「ベネディチテ」なんてどうだっていいわよ。食卓から離れたあと、あなたたちはどこに行ったの?

ナンナ それはこれから話します。わたしたちはね、一階にある、広くて、涼しくて、四方をぐるりと絵画に囲まれた部屋に向かったの。

アントーニア どんな絵が描いてあったの? 四旬節の悔悛とか、その手のもの?

ナンナ 悔悛どころか。それはね、偽善者どもの視線を釘づけにして離さない類の絵だったわ。その部屋には四面の壁があったの。はじめの壁には、聖女ナフィッサの生涯が描かれていた。絵画のなかのナフィッサは、慈愛の心に満ち溢れた十二歳の善良な少女で、お巡りやら、ペテン師やら、教区司祭やら、馬丁やら、そのほか憐れみに値するすべての人びとに、自らの婚資を分け与えてやるの。やがて持ち物がなくなってしまうと、どこまでも慈悲深く、どこまでも慎み深いナフィッサは、たとえばシスト橋の真ん中のような場所に、一切の飾り気もなく腰かけるのよ。彼女の持ち物といえば、椅子と、肩掛けと、仔犬と、風を扇いだり蠅を追い払ったりするのに使えそうな、茎の先っぽにしわくちゃの紙が取りつけてある葦くらいなの。

アントーニア そこにナフィッサが腰かけてるのは、なんのためなの?

ナンナ 身にまとう物を持たぬ人びとに、ふたたび衣服を着せる善行に励むためよ。すでにあなたに話したとおり、ナフィッサはまだとても若かったの。橋の真ん中に腰を下ろし、顔を上に向けながら口を開けている彼女の姿は、まるでこんな歌を唄っているようだったわ。

 わが待つ人よりの おとづれをいつ 聞かまし

 立ち姿のナフィッサが描かれている絵もあったのよ。恥じらいのために、ナフィッサに施しを乞う勇気を持てずにいる男の方に振り向くと、どこまでも明るく、どこまでも人間味に満ちたナフィッサは、自分から男に近づいていき、彼を墓場まで連れていってあげるの。そこはナフィッサがいつも、苦しみに苛まれた人びとを慰めてやっていた場所なのね。ナフィッサはまず、男の背から衣服を脱がし、それからズボンをずり下ろすと、可愛らしいキジバトと対面するの。たっぷりの愛撫を受けると、小鳥はやがて横柄にも頭をもたげ、端綱を喰いちぎった種馬が雌馬に突進していくような猛烈さで、ナフィッサの両脚のあいだにもぐりこんでいくのよ。けれどナフィッサは、自分は男の顔をまっすぐ見つめるのに値するような女ではないと思っていたし、それにたぶん(あのとき説教師がわたしたちに平易に説いてくれたように)こんなにも赤く、こんなにも湯気を立て、こんなにもかっかしている男を見るだけの勇気がなかったものだから、彼女は男に、素晴らしくも堂々と背中を向けたままでいたの。

アントーニア ナフィッサの魂のご冥福をお祈りします。

ナンナ あら、ナフィッサは聖女なんだから、心配はいらないんじゃないの?

アントーニア あなたの言うとおりね。

ナンナ いったい誰が、あなたにすべてを語って聞かせられるかしら? そこにはまた、いつもどおり神の愛に衝き動かされたナフィッサが、イスラエルの民へ寛大にも仮の宿りを提供し、彼らを満足させてやっている様子も描かれていたわ。ナフィッサの施しを味わったあとで、一つかみの硬貨とともに彼女のもとから立ち去っていく男の姿もあったけれど、そのお金はそもそも、思慮深い別の男が、ナフィッサの手に無理やりに握らせたものだったの。客を受け入れ、食事を取らせ、服を着させるだけでなく、旅を終えるための路銀まで用立ててくれる気前の良い宿に泊まったときとすっかり同じ体験を、ナフィッサは自分を耕した男たちに味わわせてやったわけよ。

アントーニア ああ、祝福された、汚れなき聖ナフィッサさま、あなたの刻まれたかくも尊き足跡に、わたしもまた続くことができますように。

ナンナ 要するに、玄関やら裏口やらの、前やら後ろやらでナフィッサのしたことのすべてが、そこには自然に、ありのままに描かれていたの。ナフィッサの人生の最後の場面を描いた絵もあったわ。この世でナフィッサに迎え入れられたすべてのイタリア男の肖像が、あの世でまた会えますようにという祈りをこめて、ナフィッサの墓のなかに描かれているの。五月のサラダに入っている草よりも、ナフィッサの墓に差しこまれた鍵の方が、よほど色とりどりで変化に富んでいたんですから。

アントーニア いつの日か、なんとしてでもその絵を見たいわ。

(つづく)

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