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母の哀しさ

2011/4/5

「どうしたの、アンタ、夜逃げでもしてきたの?」

って、私の顔を見るなり母は、眉間を曇らせ小さな声で問い詰める。そんなこと言われりゃこちらこそ、そりゃ何のことよと問いたくなる。

母はこの頃特に、「時間がわからなくなっちゃった」と言う。見当識障害は、だいぶ前から時々現れてはいた。一体今が何時なのか、朝なのか昼なのか真夜中なのか。

私が病室を訪れた瞬間を、母は真夜中だと勘違いしたようだった。適当な言葉で母を慰めたりすれば、母は顔を氷のように硬く冷たく強張らせ、「自分は若いと思って…」と私を責める。

自分は若いと思ってるアンタなんかに、私のこの困惑した気持ちは理解できないのよと、母は思うのだろう。


「永遠に現役であろう」とする母に、最近娘達は辟易している。
すべてのことを把握し、理解し、采配を振るい、自分が特別な計らいをしてもらえるよう、あらゆることを駆使して周りをコントロールしようとする母。

お世辞やジョーク、笑顔やお茶目な仕草、気の利いた贈り物や金一封、電話や手紙。残念なことに最近は、そのほとんどが不可能になってしまった母。

今、母にできる唯一のことは、小さな声を振り絞っての、言葉による娘達の操縦くらいだ。

私の前では姉の愚痴をこぼし、姉の前では時に私の非難を口にする。「スタッフがこんなことを言っていた」と、姉や私にそれぞれ、見え透いた「スタッフからの賞賛の声」を伝える。嘘ばっかり。

「あのコントロールはいったい何のためなのか?」「母が今まで生きてきて頭にあったことは、その程度のことなのか?」とかいうことが最近の、姉と私の話題のひとつ。

母という人の哀しさを、こんなふうに掌に、握りしめたくはなかったなと想う。

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