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困った

2007/02/27
(この記事は2007年、母がまだレビー小体型認知症と診断される前のものです)

銀行やら買い物やらの用事を済ませて、自転車で近所のクリニックの前を通りかかった。母が最近よくかかっている医者だ。ふと見ると、閉まっている扉の横に、不機嫌そうな顔をした母がうずくまって座っている。

声をかけたら辛そうに立ち上がって「今何時?」と訊く。腕時計を見ると、午後の診察開始時刻にはまだ45分もある。「こんなに早く、何やってんの?」と言うと、「時計見ないで出てきちゃった」と答える。

母はこのところ腰と太もも、坐骨神経痛だとかで、かなり痛みがきているらしい。時間までどこかでお茶でもと思っても、近くのカフェまで歩くのと家に戻るのと同じくらいの距離だ。おまけに私は冷凍食品をいくつか買っていたので、とりあえずそのままというわけにもいかない。

「今日はもういいわ。帰る」と母は言う。帰るにしたって血圧もかなり下がっている様子で、フラフラだ。危ないから座らせようと思っても、足腰が痛んで容易に座ることもできない。

ところどころで強引に腰掛けさせ、また立ち上がっては歩き出す。左手で母の右腕をしっかり支え、右手で前後に荷物の載った重い自転車を押して歩く。

母は前傾姿勢でトットコトットコ小股で歩く。おそらく頭の中は真っ白で、目が見えていない脳貧血状態だ。生あくびをしながら、今にもつんのめりそうに歩くので、私の左手は必死だ。もし母が前に倒れたら、私の右手は支えようとして、自転車はものすごい勢いで転倒するだろう。

やっとの思いで家に着き、母はソファに横たわる。呼吸が荒い。

もし私が通りかかっていなかったら、どうしたんだろうと思う。あそこで長いこと、待ち続けることができたとも思えない。だいたい時間も確認せずに家を出たというところがアブナイ。急がなくちゃと思って、必死で歩いていったというところがアブナイ。

いくら誰かが付き添ったところで、歩けないのだからどうしようもない。血圧さえ下がらなければ大丈夫なのに。

このあいだから私は、車椅子を勧めている。座っていれば平気なのだから、近くに出たい時や医者に行きたい時、私が車椅子を押していけばいい。生あくびしながら可笑しな格好でフラフラ歩いたり、転んで骨折したり車に轢かれたりしちゃうより、車椅子に座ってにこやかに会話していたほうがどれだけいいかと力説するのだが、「いやあよ! みっともない!」と吐き捨てるように言う。母はとても見栄っ張りなのだ。

でも、あなたのその歩いている姿、どう見ても普通じゃないですから。それならば車椅子を時々上手に利用するのも悪くないと思うんだけど…

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