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夏至とおやつ

2010/6/21


今日、6月21日は、夏至だってね。日没は午後7時。
せっかちな私としては、昼間が長いとなんとなく安心する。別に日が昇っている間を、それほど有意義に過ごしているとも思えないけれど。早くに日が沈むと、なんだか妙に不安になるっていう、それだけ。

母のお見舞いに行きたくなくて、朝から何度も溜息をつく。
はぁ~~~ とか、ふあぁ~~ とか、思いきり大きく息を吐き出す。

母は最近、手の硬直による疲れから、自分で食事をすることが難しくなりつつある。スタッフが介助してくれるけれど、その食べさせ方がどうにも気に入らない。

食べ物をぐちゃぐちゃに混ぜてしまうとか、スプーンのひとくちがやたらに大きいとか、一口飲み込むごとにお茶を飲ませるとか、とにかく気に入らない。

母の好むようなスピードで、母の好むような順番で、食べたいものだけ、欲しいぶんだけ、最適の分量を口に運ぶだなんて、誰がそんなヒマなことをしてくれるっていうの?
だから母は、娘達に介助をさせたいのだ。

週に2度、姉は夕食時の介助をすることが多いけれど、私は午後のおやつの頃に病院にいることがほとんどだ。母は私にも食事の介助をさせたい。

「昼食の11時半に来るんだったら、私はおやつの時間までは居られないわよ。だからおやつも持ってこないわよ。早く来たぶん、早く帰ることになるわよ。午前中から夕方まで、ずっといることは不可能よ」って、はっきり母に言う。だってそんなことしてたら私の生活が潰れてしまう。

「おやつがなかったら、何の楽しみもない」と、母は暗い顔をして私を見る。「そうでしょ? お団子も食べられくなるのよ?」と言うと、「団子、食べたい」と母は意欲を見せる。

おやつをやめて昼食の介助か、介助は諦めておやつを取るか、母の好きなほうを選んでと、私は選択を母に委ねた。それでも母は選べなくて、暗い顔をして宙を見つめる。

今日病院へ行くと、母はまた、食事の介助の話をする。「だから、お母さんの好きなほうでいいわよ」と、もういっぺんおやつと介助の選択を迫ってみると、「団子にしよう」と母は言う。

「わかった。じゃあ今までどおり、私はおやつを持って、午後に来るよ」ということにした。もちろん、毎回お団子を持参するわけではない。いろんなものを選び、時に失敗し、時にヒットを飛ばし、いつもいつも私は、おやつ選びに一所懸命だ。

「おやつ」が生きていることの喜びなんだとしたら、今の母の生きがいなのだとしたら、そりゃあ力も入るってものよ。


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