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「いくら寝ても眠いのよ」

2010/4/5


最近、母の病院から帰ってくると、自分がひどく消耗していることに気づくことがある。気持ちっていうのか心っていうのか、神経と呼ぶのか精神なのか、あるいは魂とでも呼んじゃうのか解らないけれど、身体ではなく、脳でもなく、ずっとずっと根っこのほうに疲れが溜まっている、そんな気がするのだ。

最近の母は、起立性の低血圧がさらに悪化し、食事を始めて間もなく意識消失してしまうことが増えたようだ。だから車椅子に乗っていられる時間もどんどん短縮されていく。そうすると母はベッドに戻され、意識が回復した後で、スタッフに介助してもらって食事をとるという。

結果的にはいつも完食しているらしいのだが、母は「食べられなかったの」と言う。だから私が病室に着くとすぐに「お腹空いちゃったぁ」と言う。

この頃母は、「いくら寝ても眠いのよ」と言う。足首をマッサージしていると、両目が閉じてしまう。でも、ちょっとした音でパッと目を覚ます。うつろな目で口を半開きにして宙を見つめるだけの母に、何か楽しい話でもないかと話題を探すけれど、見つからない。

子供たちのちょっとしたエピソードなどを面白おかしく話して聞かせると、母は笑ったり眉間をしかめたりする。時々舌を巻くような名言を吐いたりもする。そして話が終わるとまた、うつろな目で眠りに落ちそうになる。

こうして、徐々に傾眠状態に移行していくんだろうと思う。一日中、口を開けて、眠っている。刺激があれば目を開ける。そしてまた眠る。起こしてスプーンを口に運べば食物を飲み込む。終わればまた、眠る。やがて母もそうなる。

でも、そうなってからの人生が、これまた案外長い。
生きていることの意味を誰に問えばいいのかわからないほど、とても長いようであることを、病棟で知った。


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