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健在

2008/12/27
(この記事は2008年のものです)


今週一週間は、下の姉が4日、私が3日、母の病院を訪れることになった。上の姉がクリスマス週間のためにケーキ作りにおおわらわで、どうにも身動きとれなかったためだ。

一昨日のクリスマスの日には、病院の1階ホールでクリスマスコンサートが開かれた。母は前から楽しみにしていて、クリスマスの日のために私は、母のリクエストどおり母の自宅チェストの引きだしから、黒地にゴールドビーズの刺繍がたくさんほどこされた、派手なカーディガンを持ち出して病室に届けてあった。

私が病室に到着すると、母はすでに口紅まで塗ってスタンバイしていた。「早く着替えなくちゃ」と言う。全部着替えるのだと言う母に、一階は寒いからといってどうにかなだめ、パジャマの上からカーディガンを羽織り、下半身にはやはりパジャマの上から、スエットのおしゃれなパンツを履かせた。

ホールには大勢の患者さんが全員車椅子で勢揃いしていた。ガチャピンの着ぐるみを着た女性がダラ~リとした口調で進行役を務めた。「なんでカエルの格好なんかしてるのよ?」と、母はガチャピンを認知できない。ほとんどの患者さんがそうだと思う。「ガチャピン」なんて知らないよ。

「とりあえず現役で(でもボランティアで)歌うたってます」って感じの、ドレスにボレロを羽織った30代くらいの女性と、「音大の声楽科卒でとりあえず今でも歌は上手いです」って感じの50代ほどの普段着の女性が歌を唄い、それとやっぱり50代かなあ、「昔は自宅でピアノ教えてましたけど?」っていうくらいの思い切り普段着の女性がピアノを担当。

高校時代ずっとコーラス部で、入院するちょっと前までは10年間くらいカルチャースクールのコーラスに通っていた母は、目の前で披露される歌とピアノのレベルを鼻で笑う。「やっぱりうちの(コーラスの)先生は格が違うわ。声量が比べ物にならない」とか「ピアノ、上手くないわね」とか言う。

イタリア語の歌なんかを次々披露されても、はっきりいってお年寄りは上の空だ。ただぼーっとしていて、まったく聞いてない人も大勢いる。日本語の歌になると、やはり反応が大きく変わる。

ガチャピンが「やりたい人いるぅ~?」と言って鈴などを回す。「お母さんもやらない?」と訊いてみたけど、母は軽く無視をする。数人の有志のお年寄りが、ガチャピンがリコーダーで吹く「ジングルベル」に合わせて、嬉しそうに鈴を振る。無邪気に、実に楽しげに鈴を振ってニコニコしている。

鈴を持たない人も、楽しそうに指を振っていたり、中には両手が宙を泳ぎ、鍵盤を弾いているような人もいる。エアーピアノだ。母の指も膝の上で、ほんの微かに動いているのを見つけて、ちょっとだけ私はホッとする。

ガチャピンが5曲もリコーダーを吹き、一緒に大声で歌い出すお年寄りもいる。そうこうしているうちに母の表情が曇っていき、「頭がボーっとしてきたから部屋に戻ろう」と言い出す。

6階の病棟に戻り、食堂でクリスマスの特別おやつ、ミニケーキの盛り合わせと薄いコーヒーをいただく。「アンタも食べなよ」と言いながら、母はペロッとたいらげる。

病室に戻ると母は、私の帰宅時間をしきりに気にする。「あんなもん見ちゃったから、時間がなくなっちゃった」と後悔する。母が期待していたレベルには、程遠いコンサートだったようだ。

「あんなもん」のために素敵なカーディガンを用意した私は「もう、これ持って帰ろうか?」と訊く。「置いておけばいいわよ!」と、母は綺麗な服を手元に置きたがる。

お正月用には、既に白いカーディガンも持ってきてある。これも母のリクエストどおり。「クローゼットの中に吊るしてあるの。白地に、花の刺繍がしてあるアンサンブルよ」等と、母は正確にカーディガンの詳細を語る。
「お正月からパジャマ着てる馬鹿がどこにいるのよ!?」というのが、母の言い分である。

憎まれ口と食欲は、健在である。

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