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通夜

2007/09/16
(この記事は2007年、母がまだレビー小体型認知症と診断される前のものです)


「痩せたから、どの喪服もブッカブカ!」と母は言う。
出かける予定の1時間前から、真珠のネックレスまでつけてスタンバイしている。

今日は母の体調が比較的良くて、二人でタクシーに乗って、浮間のセレモニーホールまで出向いた。Y子ちゃんのママのお通夜へ行った。

ホールには、同じくらいの年恰好の女性達がずらりと椅子に座って待機していらっしゃった。おそらく町内会とか、近所のお知り合いといった方達だろう。皆同じように真っ黒に髪を染め、私くらいの背丈しかない。それに比べてうちの母は、明らかに大柄だということが今さらながらわかる。母は大きい。

お通夜が始まる直前、Y子ちゃんを呼び止める。Y子ちゃんの顔は痩せてやつれて、クマができている。Y子ちゃんと、喪主であるY子ちゃんのお姉さんのために、ユンケルのちょっといいヤツをプレゼントした。明日の告別式のために、どうにか体力がもちこたえますようにと。

母は昨日、Y子ちゃんのママの死と、友人のダンナさんの死を知らされた。明日はわが身か…、歳をとると、誰もがそう思うのだろう。しかし母の涙腺は乾いてしまっていて、母はもう、泣かない。いつだって、泣かない。泣かないかわりに石になる。私の涙腺はまだ充分に潤っていて、泪はいくらでも頬をつたう。

「どうぞお清めを」と言われ、畳の部屋に通される。見も知らない人と隣同士になって、お寿司や煮物なんて食べるつもりもなかったけど、「するべきこと」として、一応席に着いた。

隣の爺さんがすぐさまビール瓶を手に、飲めない母と私のグラスに強引に注ぐ。なんだかよく解らない。母はお腹が空いているんだか、海老のお寿司を2つも食べる。「間違えて白身とっちゃった。いらない?」と私に訊いてくる。「栗、美味しいわよ」と言う。やっぱりどこか、昔の母とは変わってしまったなと思う。

左右の見知らぬ方々に、お先に失礼しますと言い、早々に席を立った。なんだか解らないけど、皆60~70代の方達の食欲は旺盛だ。「煮物、美味しいわね」などと言っている。「このビール、さっぱりしてるわ」とか言っている。なんだかよく解らない。

帰りのタクシーの中で母に、どんなところで葬儀をしてほしいのか訊いた。アソコはいやだ、アソコはいい、といった話をする。文句や愚痴の多い人は、できるだけ生前に、好みを明確に伝えておいてほしい。

10年前なら、どの程度の葬儀になるのか、なんとなくイメージできた。でも今だったら、そしてさらに10年後だとしたら、母の葬儀のイメージはますますつかみにくくなる。どれだけの人が来るのか、どれくらいの規模になるのか、見当がつかない。

そして母が死んだら、母の部屋の片付けをするのにどれだけの労力が要るか、イメージしてみる。クローゼットの中に溢れる、沢山の洋服の数に呆れ、そこいらじゅうに沁みこんだ母の匂いに泪し、無駄な買い物があまりに多いことに怒りを覚えるかもしれない。

母を見送るというのは、人生の中でもかなり大きな仕事のひとつだ。失う前から、つくづくそんな気がする。

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