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これでも「認知症」

2009/5/13
(この記事は2009年のものです)


病室に着いた私に、母は半べそをかきながら訴える。
お昼御飯のときにいつも向かいに座っている女性がいて、その人とはアイコンタクトでやりとりできていたらしいのだが、その人の具合が悪く、食堂に来なくなった。その代りに母の目の前に座った女性が、ものすごく意地悪だったという話。

「私がこぼしてるのを見て、ずーっといちいち指摘するのよ。『ほら落ちた。ほらまたこぼした。ここからここまでこぼれてる』って。『昔だったら、這いつくばってでもこぼしたものは食べるもんだ』って」

どうやら達者な方らしく、自分はお箸ですいすいとご飯を食べるらしい。最近とみに手の機能が落ちている母がぼろぼろとこぼしながら食べている様子を、箸で指して非難するのだという。

「あんな目にあうなら、もう食堂へ行って食べたくないわ」と、母は泣きそうな顔をする。ご飯も半分しか食べられなかったのだという。
「じゃあ席を替えてもらうように言ってくるよ」と、私はさっそくナースのほうへ出向いた。

どうのこうの話しているうちに、担当医の女医がやってきて、「そうそう。今日のお昼ね。あれはかわいそうだったわよ。今度は絶対に一緒にしないから」と、きっぱりと言ってくださった。

それからナースと医師と私の3人で少し話をした。
最近母が食べ物の多くをこぼしてしまうことを、ひどく気に病んでいることについて。食べやすくするために、食事の形態を以前のように戻したほうがいいのではないか? ということ。

「どんなにこぼしても少しも構わない。こぼす分も考えて食事量が決められている。自分の力で、食べたいものを食べるのが一番。本人がそう希望しているなら変更するが、そうでなければ応じない」

そして最近とみに、母は食事中に失神するらしいのだが、それについても、

「どんなに失神しても構わない。スタッフがいるから大丈夫。安心して失神すればいい」

さらに、

「入院時から、症状が進行したようには感じない。むしろできることが増えた。今後も可能な限り、できることは自分でやり、リハビリを続けていくという方針でいく」

っていうこと。

医師から言われたことを、戻って母にゆっくりと話す。「そう言ってもらえれば、安心するのよ」と、母はいくらかホッとした表情を見せる。

この日の母は無口で静かで暗くって、まったく表情が動かない。それでも馴染みの掃除のおじさんが手を振ってくれると、母は無理に口角をあげて笑顔をつくり、ぎこちなく手をわずかに上げて振って見せる。

母の両足は、関節に極太の針金が入ってしまったようにしか動かない。ガチガチに固まっていて、不自然な形で硬直したままベッドのエアマットの上に投げ出されている。長い脚だ。脛が長い。「看護婦さんがみんなそう言うのよ」と母は言う。150センチもないような女性が多い中で、母の足は妙に目立つのだろう。

母は筋の強張る痛みに堪えられず、時々鎮痛剤をもらう。「薬は効くの?」と尋ねると、「効くわよ」と答える。薬が効くのはありがたいと思う。

毎回母の足をマッサージする。鎮痛効果のある薬剤を塗り塗りして、ふくらはぎや足首、関節をマッサージする。きゅっきゅっとつまむようにすると「ああ、気持ちいい」と母は言う。

病気の症状のひとつのせいで、最近母の声はますます小さくなってしまった。何度も訊き直さないと、何を言っているのかわからない。そんな小さな声で、母は語る。

「ほんとにね、ほんとに我儘な願いだってことは解ってるの。でももっと病院側もね、患者の声に耳を傾けて、意見を聴く日だとかを設けるべきだと思うわ。傍に来た時に、ちょっとでも声をかけてくれて、話をしてくれるだけで違うのよ。それができてる人もいるわ」

こんな母だが、病気の括りとしては「認知症」なのだ。


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