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病棟の現実

2008/12/16
(この記事は2008年のものです)


母はひと月半くらい、抑肝散を服用していない。今の病院では抑肝散を扱っておらず、担当医師はその存在すら知らなかった。けれど抑肝散は量も多く大きな顆粒なので、服用には結構なストレスが伴う。
だから飲まなきゃ飲まないでもいいのかなと、私達も医師に対して
特に要請するようなことはしなかった。ちょっとした幻覚くらい、あったらあったで良いのかな? なんて思ったりもした。

最近になってまた、母に様々な幻覚や妄想が出現し始めた。このところ一日おきくらいに飛び出すようなのが「オレンジの着物」だ。

母が使用している薄っぺらの羽毛布団のカバーの中に、オレンジ色の着物が入っていて、それが邪魔で仕方ないとこぼすのだ。少し前、それは布団の外のベッドサイドにあって邪魔だと言ってたのに、今日はカバーの中にあると言い張る。

私がファスナーを開けて中を見せ「ないわよ」と言っても、「そんなところだけ見てちゃ見えないわよ」と言う。母の目に届くように、内側が全部見えるようにすると、「おかしいわねえ…」と不満そうだ。「おかしいねえ」と私も言っておく。「夜になると出てくるのよ」と母は言う。

母は病院からレンタルされている全員おそろいのパジャマが、時々気に入らなくてたまらなくなる。中に着けている下着(これもおそろいのレンタル)も、イヤでたまらなくなる。
「お正月くらいは、アンタの買ってきた花柄の綺麗なパジャマを着たい」と言う。

母の身体感覚は時々おかしくなるので、今日はオムツの上に「何枚履いてるの?」と訊くので、「パジャマのズボン1枚よ」と教える。
「下着も、3枚くらい着てるでしょ?」と言うので、「3枚も着てたら汗だくでしょ? 1枚しか着てないわよ」と私が笑いながら応えると、母も顔をくしゃくしゃにして笑う。

母は昨日師長さんに、自分がパジャマを無理矢理剥いでビリビリに破いてしまったことを詫びたのだと言う。すると師長さんが「どこも破けてないから大丈夫よ」と言ったのだとのこと。
「おかしいわねえ…。そんな気がしただけかしら?」と母は訝る。「そうよ。パジャマを破くなんて、相当スゴイ力がなきゃできないわよ」と私が言うと、曖昧な顔で頷く。

認知症が少しずつ進行するといっても、アルツハイマーとはやはり違うのか。母のおかしな混乱は、日によってはパタリと影を潜めて、まるで正常な人に戻ったりもする。脳の不思議を想う。

病棟の廊下で母が入浴から戻るのを待っていると、隣の病室の車椅子のお爺さんが、いつものように挨拶してくれる。トイレの時に「お願いします」を連呼するお爺さんだ。

お爺さんは、「ご苦労さんです!」とはっきりと私の目を見て言う。そして、「あなたは…私のところの人かな?」と訊くので「いいえ」と笑顔で首を振ると、「そう…私の孫によく似てるからね」と、優しい顔をする。
可愛いお爺さんだ。娘じゃなくて孫ってところがまたいいね。

今日、息子が初めて病院に同行した。彼は今週いっぱい試験休み。中間試験の後に風邪をひき、それからあまりに酷い咳が続いていたので、ずっとお見舞いを遠慮していたのだ。
ロン毛の息子を見て「女の子かと思った」と母は言う。息子は長いこと、母の足を揉まされる。

母を待っている間、燦燦と降りそそぐ陽射しの中で、廊下の端っこの椅子に腰掛けて、息子はオニギリに喰らいつく。「この病院、ボク好きだよ」と息子が言う。

病室からは「ああ~! ああ~! ああ~!」という、ある女性患者の大きなうめ呻き声が聞こえてくる。「この明るさと、ここにある現実とのギャップが、なんかいいよね」と息子は言う。

そうだね。物事はいろんなふうに見えるよ。今日みたいにきれいな日でも、見る人の心の色によっては、泣きたいほどに哀しく映るだろうよ。
この病棟の現実も、哀しく醜く、せつなく見えることもあれば、なんとも幸せで美しく、喜びに満ち溢れたものに映ることもあるだろう。

帰りのエレベータの中で、見舞い客のおじさんに声を掛けられた。
「ココはどれくらいですか?」と訊かれ、「まだ、二ヶ月くらいです」と答えると、おじさんはちょっと複雑な顔をして、「うちはもう、二年半を過ぎましたよ」と、いくらか自虐的な響きで言いながら、自分の後ろにいる、もう一人の知らないおじさんの顔を見る。急に声をかけられたもう一人のおじさんも、「ああ…!」と、なんとも表しがたい声を出す。

まさかまさかの二年半なのでしょう? いろんな意味で、大変なのでしょう? 生命力って、案外ものすごいんですよね? おじさん、ちょっぴりヤケになってますか?

私の答えを聞いた時のおじさんの目は「そりゃ、まだまだだね。先は長いよ」って語っていた。

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