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この頃の母

2010/4/27


母のことを綴ろう、綴っておこうと思いながら、なぜかどうしても書く気になれないまま、日にちばかりが過ぎていく。

この一年間を振り返っても、母の病状はほとんど変化がないように見えていた。声がさらに小さく、聞こえづらくなったということ以外は、頭の呆け具合も冴え具合も変わらないし、手足の機能もたいした差はないように思えていた。

しかしこのところへきて、ガクッと一段、低いところに着地したのかなと、そんなふうに感じることが増えてきた。

最近食後だけでなく食事中の意識消失が増えたと、姉から報告を受ける。姉は仕事を抜けて夕方病院へ行くことが多いので、夕食の場面に立ちあうことがほとんどだ。意識消失しても、以前ならすぐに回復したけれど、このごろの母はかなり長い間戻らないことが増えたという。その間、脳の中はどんなふうになっているのだろうと、不思議に思う。

私が傍にいても、時々どこか遠くの世界に行ってしまっているように見える。口を半開きにして、うつろな目で宙を見つめている。前からそんなふうなことはよくあったけれど、どこかが前とは違う。何かが違う。意識レベルが一段下がった、そんな感じがする。

それでも耳は聞こえていて、私のやろうとしていることを感知することはできていて、時々ギョッとさせられる。ボーっと口を開けていっちゃってるので、コップの中にわずかに残ったお茶を捨てに行こうかと席を立つと、「もったいないから捨てないで!」と、小さく厳しい声で一喝する。


「三角にしてよ」と母は言う。介護用の三角柱型のクッションを背中に当ててくれという意味だが、いくらどんなふうに工夫してあてがってみても、母は満足できない。

「パジャマのズボンとオムツを引っ張るようにして、三角にして!」と、母はごねる。「これが三角? これでどうよ? 今度こそ三角?」と少しずつ体位やクッションの位置を変えて訊いてみるのだが、母の思う「三角」とは、いまひとつ違うようなのだ。

「『三角』なんて言われても分からないわよ」と笑って誤魔化してみると、「私が名付けたのよ」と、母も固まった表情筋を少し緩める。

昨日は病院内で行う午前中のリハビリが、予定変更で午後3時からになり、私も途中まで見学した。リハビリ室へ行く前に、担当スタッフのK先生が「ハナミズキが満開だから、ちょっと外へ出てみましょうか?」と言ってくれる。

満開をちょっとすぎていたけれど、病棟前に数本並んだハナミズキは、白から濃いピンクまでのグラデーションで咲き乱れていて、とても美しかった。パジャマの上に薄いカーディガンを羽織っただけの母には少し風が冷たかったので、「もうリハビリ室へ行く? それともぐるっと見て回る?」と訊ねると、「去年も見たわ」と、冷たくポツリと言い放つ。

母に別れを告げるとき、必ず手を握り合うことになっている。それから「ごきげんよう」と言うと、母は嫌がる。ご機嫌がよろしくなろうはずがない、こんな生活が良かろうはずがない、というのが、おそらく母の理屈だ。

「じゃあ何て言ったらいいの?」と訊くと、「おだいじに、よ」と即答するので、最近の私はいつも帰り際、「おだいじに!」と言って笑い、手を振って病室を去るのだ。


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