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自分になれない、すべての人へ『夜のクラゲは泳げない』

オリジナルアニメって良いですよね〜
近年は有名な漫画作品があらかたアニメ化されてしまったのもあり、オリジナルアニメの可能性が改めて見直されている時期ではないでしょうか。
私が勝手に思ってるだけか。

オリジナルアニメの良さは、なんとも言っても「先が読めない」かつ「視聴者が全員同じスタートラインに立っている」こと。
この特徴があるからこそ、リアルタイムで大勢の人と一喜一憂する楽しみが生まれてくる。現代の作品に求められる要素が揃ってるんです。

最近はアニメ一気見派の私ですが、オリジナルアニメの魅力には逆らえないですね。リアタイしちゃいます。

さてさて、2024年に輝いたオリジナルアニメとして、既に『ガールズバンドクライ』のnoteを書いています。実は同時期に、もう一つ良かったオリジナルアニメがあったのです。しかもジャンルも結構似ている。

それこそが『夜のクラゲは泳げない』。

同時期のガルクラに話題を持っていかれた感じはありますが、こちらの作品もなかなか見どころの多い作品です。

ガルクラと同時に追っていてまず気づく違いは、ガルクラが3Dアニメなのに対し、ヨルクラは2Dアニメであること。しかも作中には歌って踊るシーンが結構あり、わりとキビキビと動く。

なのに全然作画が崩れないんです。「一体どこが作ってるんだ?」と思って調べてみたら、動画工房でした。納得。

思い出の動画工房

余談ですが、私の中の動画工房は『ガヴリールドロップアウト』あたりで止まっちゃってます。いや何年前だよと。

その頃から「かわいい女の子をぬるぬる動かすアニメスタジオ」という印象を持ってましたが、相変わらず実力は衰えていないようで何より。

実際の動画工房

てか【推しの子】もここが作ってるの!? 全然イメージ違うんだけど!
とか言ってたらKADOKAWAの傘下になってるじゃん!?
などなど、矢継ぎ早に新事実が発覚して私はだいぶ狼狽えました(笑)。

閑話休題。
現代を生きる女子高生たちの苦悩を描いている点では、先に話した『ガールズバンドクライ』とも共通しているのですが、細かい部分を見ていくと、もちろん全然違います。

思うに、今作が描いた苦しみは、「自分が自分になれないこと」。
そして、もっと突き詰めた先にあるのは「現実と仮想の連続性」ではないかと思うのです。

自分になれない私たち

メインキャラクター4人

今作にはメインで4人のキャラクターが登場しており、それぞれが綺麗に掘り下げられています。また、彼女たちは性格だけでなく、持っている悩みも個性豊か。順番に見ていきましょう。

主人公の光月まひる(画像左から2番目)は、どこにでもいるごく普通の女子高生。
かつては絵を積極的に描いていて、特にクラゲを好んで描いていました。しかし、クラスメートに自分が描いたクラゲの絵の良さが理解されず、それから自分の気持ちを閉じ込めてしまうんですね。

そんな最中に出会ったのが、自分の絵を「好きだ」と言ってくれる存在・山ノ内花音(画像一番左)。彼女はまひるをスカウトし、彼女の絵を使って音楽グループを結成します。

彼女は彼女で、とある事情で芸能界から追い出された身。歌いたいという想いを胸に、仮想のキャラクター「JELEE」として歌うことを決意します。

仮想キャラ「JELEE」

まひるの幼なじみであり、女子高生になった今でも仲良しな渡瀬キウイ(画像一番下)は、自分の存在が周囲から浮いてしまったことがきっかけで不登校になり、ネット上でバーチャルライバー・竜ヶ崎ノクスとして活動しています。

3話で初登場する高梨・キム・アヌーク・めい(画像一番右)は、かつてアイドルの花音を激推ししていた子。その強烈な愛情故に、JELEEとして活動する花音に解釈違いを起こしてしまいます。

彼女たちが持つ悩みの共通性は、つまるところ「自分になれない」こと。
自分の好きを分かってもらえない。
自分をさらけ出して歌を歌えない。
ただ自分でいるだけで浮いてしまう。
ただ好きなものを好きと言っただけなのに変な目で見られる。

めいに関しては「他者を推すこと」が主眼に置かれているので、少し方向性は違うかもしれません。

しかし、見方を変えて「他者によって構成されている自分」として見ると、結局のところ大元は「自分が自分であること」が根っこの悩みとしてあるように思います。

現代の苦しみ=現実と仮想(バーチャル)の連続性?

さて。
「自分が自分であること」に関する悩みは、マズローの欲求階層説の「自己実現欲求」をわざわざ持ち出すまでもなく、現代では大して珍しくもない悩みの一つだと思います。

では、「2024年の今」だからこそ描ける、私たちの悩みとはなんなのか?
この作品が描こうとしたのはズバリ、「現実と仮想の連続性」だと思います。
もっと言えば、「現実世界と仮想世界が、切っても切り離せない位置にある」こと。

たとえばまひるの場合。
JELEEとして活動するにあたって再び絵を描き始めたのはいいものの、SNS上に投稿された自分よりも上手い絵や、それを描くイラストレーターを見て、焦りを覚えます。

彼女を見ていると「25時、ナイトコードで。」の東雲絵名を思い出すんですが、要するに「自分は唯一無二だが、上位互換はたくさんいる問題」にぶち当たってしまうんです。

『夜のクラゲは泳げない』5話より

別に「世界に一つだけの花」が間違ってると言いたいわけじゃないですよ? もともと特別なオンリーワンでいいじゃないですか。

でも、自分を構成する要素がたくさんある中で、一つだけ抽出したら最後、インターネットには無限の上位互換が溢れかえっていることに気づいてしまう。

というより、現実世界にはたくさんの「すごい人」がいる、という気づかなくてもいい事実に気づかされてしまうわけですね。

では、花音の場合は?
彼女は芸能界のスキャンダルで表舞台から姿を消し、代わりに仮想のキャラクター・JELEEの歌唱担当として再び人前で歌おうとします。

でも結局、後半に入る辺りで身バレしちゃうんですよね。
まあ、有名になったらそりゃバレるよねって感じなんですが。

見た目は仮想(バーチャル)の存在でも、過去や現実を完全に切り離すことはできない。当たり前の話です。

バーチャルYouTuberとして活動するキウイも同様。いくらVTuberで活躍できたからって、現実世界で引きこもりな事実が変わるわけではない。だから彼女はずっと引け目を感じています。

私も一時期VTuberをかなり追っかけていたので分かりますが、彼ら・彼女らに求められるのって、結局のところ「人間力」なんです。

話す言葉や仕草、性格や行動。
それらを俯瞰してみた時に魅力的かどうかが求められる。
現実世界で面白くない人が、バーチャルの世界で急に面白くなる、なんて都合のいいことはないんです。残念ながら。

4人の中だと少し特殊なめいも、「推し」という点で見れば極めて現代的な悩みを抱えています。当然ながら、推しはその人を支えると同時に、大きなリスクも背負うことになります。思い入れが強ければ強いほど、解釈違いが発生した時のダメージは計り知れないからです。実際、花音がスキャンダルで芸能界を去った時、めいが打ちひしがれるシーンが描かれています。

インターネット上で他者に嫉妬してしまうこと。
バーチャルな存在で活動していたのに身バレしてしまうこと。
何かを推したり、離れたりするきっかけの大半を、現代ではインターネットが構築していること。

これらの悩みは、根っこをたどっていけば「現実と仮想が双方向でリンクしている」今だからこそ、発生してしまうんですね。

『夜のクラゲは泳げない』3話より
たとえバーチャルライバーでも、現実からは離れられない

考えてみてください。
仮にキウイが脳みそ塩漬けになり、肉体を捨てて、仮想世界で竜ヶ崎ノクスとして生きられるようになったらどうなるか。
現実世界で自分をバカにするやつのことなんて気にしなくてもよくなりますよね。だって、もう現実世界には戻らないんだし。

もし、現実世界の空間と、仮想世界の空間がほぼ完全に分離できるのであれば、彼女たちはわざわざ悩む必要もなくなると思うんですよ。

今後、仮想通貨やメタバースの普及によって「現実と仮想の乖離」はさらに進んでいくかもしれません。
極端な話、人生の大半を仮想世界で過ごす人が表れてもおかしくないわけで。

でも、少なくとも、今はそうじゃない。
仮想世界に居場所を見つけても、自分の体は現実世界に取り残されたまま。あえて悪く言うなら、私たちは現実に縛り付けられている。
だからこそ、現実と上手く折り合いをつけて生きていかなきゃいけない。

これこそが、100年前の人も100年後の人も共感できないであろう、「2020年代の今、生きる人たちの抱える悩み」ではないかと思うのです。

6話を見てほしい

今まで今作のテーマについてつらつら語ってきましたが、深く考えなくても単純に見ていて楽しい作品です。ストーリーがちゃんと面白いですからね。

というかこの作品、ストーリーの自由奔放さが見どころの一つなんです。基本的には真面目なんだけど、吹っ切れる時は思い切り吹っ切れる。

個人的に大好きなのが6話。これから見る人は、ぜひ6話まで見てもらいたい!
この6話、いわゆる箸休め回でして、別になくてもストーリー上は全く問題ないんですよ。後のストーリーの伏線も一応ありますが。

なんですが、私がこのアニメで一番好きなのは6話です。
なぜかって、1話の中で少なくとも3回は驚かされたから(笑)

6話はメインの4人ではなく、サブキャラクターのみー子が主役
そのせいか自由度に拍車がかかってます

1クールならともかく、1話でですよ?
予想外に次ぐ予想外の展開で、話の着地も面白い。めちゃくちゃなのに最後は上手くまとまっているこの感じが、なんだかすごいぞ……! となる。

ある意味、今作が一番自由にはっちゃけていられたのが6話なんだと思います。

この作品、全体的にシリアスよりギャグの方が力が入ってるところがあるんですよね。
シリアスな回ももちろん面白いんですが、実はこのアニメの製作陣の得意分野は、こういうギャグ表現なのかもしれませんね。

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