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#10. 人のために生きる絵画講師_Eさん

名前
 
Eさん
職業
 
絵画講師・アパレルブランドの運営者
備考

 絵画講師として老若男女に美術を教えながら、自身のアパレルブランドも立ち上げているEさん。美術というご自身の「当たり前」を使った生き方や、人への想いについて伺いました。

1. 現在の仕事

── 本日はよろしくお願いいたします。早速ですが、今は何をされていますか?

 絵画講師と、アパレルブランドの運営に携わっています。元々はアパレルの方で仕事していて、絵画講師のお話をいただいたのは3年ほど前からです。
新卒ではゴスロリショップに入社して、webや印刷物・写真など幅広くデザイン業務を行なっていました。それを数年続けた後に独立して、自分のブランドを立ち上げました。ただ、その後家庭の事情でブランド運営ができなくなって。その間に「絵画教室の先生やりませんか」というお話がいっぱい来たんですよ。美術系の人のツテで何件かもらっていて…どうしようかと迷っていたのですが…私も無職だったからやってみようかなということで始めたのが最初でした。夫の友達から現在の絵画教室へのお誘いをもらって、2年ほど前から今の美術教室で講師をしています。

2. 美術の進路に進むことは必然だった

── そうだったんですね!人のツテで得たチャンスということは、美術系の人が周りにいるのが当たり前だったんですか?

 そうですね。自分の中で、絵を書くのは自然なことで。生まれた時から絵が描けて、うまかったので、それが自然だと思っていました。だから、中2の時に芸術専門の高校を受けると決めて、推薦入試で高校に入学しました。その後高校から多摩美(※多摩美術大学)に入って、油絵のコースに進んで…。元から目指していたというよりも細胞レベルで、美術の進路が自分にとっての当たり前でした。

3. 楽しい方を選んだけど

── 大学の専攻はどうやって決めましたか。

 悩みましたね。まず私の高校は、デザイン科と油絵科と陶芸科などといくつか専攻があったんですよ。最終的にデザイン科か油絵科か悩みました。将来性ではデザインだけど、やっていて楽しいのは油絵だった。結局やっていて楽しい油絵を選択しました。 ただ楽しいのは高校までで、大学は苦しかった。高校の時は経済的にも家事的にも守られていて、自分はコンクールや受験と、やりたいことに没頭できたわけなんですよね。でも大学に入ったら、美術だけでなく周りの生活も見なくちゃいけないし、自分が納得できないレベルの人が周りにいた。今までとのギャップを感じて、なんで!?となっていました。 また美大にいると、どんな環境でも美術に没頭できる人というのがいて。人と比べると環境によって影響される自分は、美術に対して浅い・負けるとも思うようになっていきました。そこから、「もしかして自分美術じゃない!?」ってなりました。

── 今の道に進んだのも、そのような経験があったからですか?

 そうです。自分のこれまでの当たり前が崩されて、アパレルの道が見えていきました。ちょっと商業に突っ込んだけど、自分のセンスも活かしつつデザインをやっていきました。元々服が好きだったのもあります。

4. ゴスロリの会社から絵画講師へ

教室の様子

── ゴスロリの会社に入社したと伺いましたが、ゴスロリ着るのですか?

 いや、ゴスロリは着ないけど、自分のテキスタイルのデザインがゴスロリ向きだったんですよ。服の会社に大学2年の時からインターンで入って、そのままインターン先に想定通りに入社して働きました。

── そこからどうして美術講師になりましたか?

 父の死と、夫の影響です。この2つが強くて、きっかけですね。 まずアパレルブランドをやめないといけなかった家庭の事情っていうのは、父の死でした。 父が亡くなったことで、人生が短いということ、人のために喜ばせていきたいという気持ちが高くなった。また死が身近になったことで、仕事を求められることが素敵なことだと気づいて。これまで大学の時もアルバイトの勧誘とか色々あったけど、絵画好きな人は他にもいるから断っていました。だけど死をきっかけに、断らずにやってみようと思い、絵画講師を始めてみました。

── なるほど…今はどんな講師を目指していますか?

 生徒さんのやりたいことに、すぐに答えられる講師を目指しています。 純粋に、私が生徒だったら「やりたい」って言ったことを断られたら悲しいと思うからです。また自分自身、いろんなことができる経験を持っているのもあります。高校から美術専門の進路だったから、受験の対策ができるし、逆にアパレル会社でいろんなことを習得したから、「いろんなことをやりたい人」にもすぐに対応できる。美術系一本だったらこういうことはできないから、自分の「なんでも」な体験が、結果的には今の講師活動につながっています。 でも、もともとこういうふうに思っていたわけではなくて。これは夫の影響。夫は高校の美術の先生をしていて、先を読んだような楽しいカリキュラムを立てる、とにかくサービス精神がすごい人。そんな夫と一緒にいるうちに、私自身も、生徒さんに対して「ここまで」ではなく、「もっと知って欲しい」と思うようになりました。 それまでは自分本位の人生で、自分さえよければよかったし、進路も「できるかできないか」で決めていました。こういう考え方が、夫との出会いと、父の死によって変わって。自分の当たり前が、どんどん変わっていきました。

5. Eさんにとって「ふつう」とは

── 最後にEさんにとっての「ふつう」とは何ですか?

 人のために生きること。もう自分にとっては当たり前のことで、環境が変わってもおんなじように思う。人のために生きる方が、自分が幸せ。 最近また新しくブランドを立ち上げているのだけど…。こう思うようになってから、アパレルブランドの運営方法もすごく変わりました。今まではゴスロリのような非現実で派手なものを表現してたんだけど、今は人間が持っている深層心理を考えて、人が癒される空間にしたいなって思って作っています。人の生が殺伐としているように見えるからこそ、人の生き方がおだやかになめらかになるような、そんな時間の提供をしたいし、そのために技術の提供をしたいと考えています。 私はどんどん自分の当たり前が変わっていってるから、人間も時代も変わるものだと思っている。数年後にはあり得ない、っていうこともあるだろうと思うから、だからこそ今を大切にしながら、また変化があるだろうと思いながら生きています。

── お忙しい中ご協力いただきありがとうございました!

ご本人のイラスト


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