永遠と一瞬~「ポーの一族」観劇レポート~

 ミュージカルゴシック「ポーの一族」は、コロナ禍の今だからこそひと際、胸に迫るものがありました。生きることの孤独、命の儚さ、そして今この時に出会えたことの奇跡。人でなくなり永遠の時をさまようエドガーは歌います。「終わりがあるから美しい 過ぎゆく時を慈しむ」
 夢の世界を垣間見てしまいました。何だか気持ちがふわふわして現実に戻って来られないので、ちょっと落ち着け自分。ということで備忘録です。


『ポーの一族』お薦めポイントは
・「完璧な一枚の絵」ポーツネル男爵一家
・舞台装置と衣装が眼福
・ダンスが凄い
・一部の隙も無い脚本&構成

 まだまだあるけれどキリがないので、このくらいにしておきます。


・「完璧な一枚の絵」ポーツネル男爵一家

 ホテルブラックプールにポーツネル男爵一家が現れるシーンは、原作でも強い印象を残しますが、舞台でも説得力ありました。まさに「完璧な一枚の絵」
 萩尾先生が「ポーの一族」新章を描くにあたってエドガーの顔が明日海さんになってしまうとおっしゃっていたのも納得! 生きて動いているエドガーは、それだけでも感動します。いやー、極上の、そして魔性の美でした。何と言うか、50代、60代になっても明日海さんはエドガーを演じられるのでは? と思ってしまいました。

 綺咲さんのメリーベルは可憐で儚げ、でも芯の強い美少女。「エドガーどこにいるの」と切々と歌い上げ、兄がいなければ生きていけないような儚さを見せながら、アランを仲間に引き入れようとするエドガーを「その人、まだ未練があるわ」と制止できる強さ。直後に身も世もなく泣き崩れるのもツボ。
 メリーベル消滅のシーンは胸が痛みました。クリフォードめ、許せん! 
一歩間に合わなかったエドガー。救えなかったとしても一目会わせてあげたかったです。エドガーが応えてくれた。来てくれたと知るだけでも、幸せに逝けたのに。男爵夫妻の消滅に比べても、可哀そう過ぎる……

 その男爵夫妻。
 夢咲さんのシーラは、バンパネラになる前とその後でガラリと印象が変わり、バンパネラになってからは、まさに「妖艶」。老若男女を蠱惑します。
フランクとの永遠の愛を貫いたシーラは美しかったです。彼女は、自分たちは「愛が無くては生きてはいけない 寂しい生き物」と歌います。エドガーは永遠を生きる孤独と苦しみ、悲しみで手一杯だけど、シーラは、どうしたらその苦しみを越えて生きていけるか、語りかけているように感じました。
 そして、小西さんのポーツネル男爵が、滅茶苦茶格好良かったですね! 原作では初老の男性だった男爵をぐっと若返らせたところは大成功だと思います。
 原作だと実年齢のみならず見た目年齢も離れすぎていて、シーラが騙されたまま婚約式に挑んだのではないか? と思う部分もあったので。舞台版のポーツネル男爵は心からシーラを愛しているのだろうなと伝わってきました。
 黒マントが翻る男爵とシーラの消滅シーンは劇中、屈指の名場面。あの時、男爵は一人なら逃げられましたよね。スコッティの村でキングポーや仲間たちを置いて館から脱出したように、一族の存亡の為にはシーラを見捨てても逃げ、エドガーやメリーベル(まだ彼女の消滅を知らない筈)と生きていくべきでした。でも男爵はシーラと共に果てることを選んだ。子どもたちがちょっと見捨てられた感じになりましたが。でもまあ、150歳くらいにはなっているから。

 それにしても、不器用な父と息子でしたね。アランにばれたと動揺するエドガーに「怯んではいけない」と告げる男爵。寄り添う4人の姿は胸に残ります。親の心、子知らずではないけれど、エドガーはアランやリデルを育てる中で、男爵の立場や気持ちを理解するのでしょう。(私、エドガーに厳しめかも?)
 というところまで想いをはせることになった小西さんのポーツネル男爵は絶品でした。ライブ配信でエドガーアングル、アランアングルの他に、ポーツネル男爵夫妻アングルが欲しいです、切実に。

 あげていくとキリがないので、男爵一家のみ言及しましたが、登場人物はみんな素敵でした。メインの方から名もなき方までキャラが立っていて、舞台のあちらでもこちらでも個性豊かなやり取りが繰り広げられていて、目が幾つあっても足りません。


・舞台装置と衣装が眼福

 3階建ての舞台セットが盆に乗って回ります。これが豪華! 大小の階段が印象的に使われています。(アランとエドガーの鉢合わせ場面、アイルランドが見える海を臨むバルコニーなど)
 ポーの一族の館、ホテルブラックプール、トワイライト邸、盆が回ったり、照明、スクリーンへの映像投影で、あっという間に場面が切り替わります。現代を2階で、過去を1階で表現したり、まさに七変化な舞台装置。細部の作りこみも素敵でした。
 幕前で、現代を生きるマルグリットたちが会話している間に、微かにゴロゴロ音が聞こえ、幕の後ろで頑張って装置移動しているんだろうなあと思いながら見ていました。
 左右から出てくる、わりと軽そうな素材の幕も良き。アランとエドガーが旅立つシーンで萩尾先生の原作絵を流すのは反則級の麗しさでした。

 衣装はため息が出るほど豪華です。パンフレットの写真で見ても生地の安っぽさは感じられません。18世紀、19世紀、20世紀、時代にあわせた衣装が見られ、コスチューム大好きな私は堪能しました。お着替えはシーラやメリーベルはもちろん、その他の役の方たちも複数の役を演じるので、女性陣は特に大変そう&楽しそう。
 物語の最後、ギムナジウムのシーンでアランとエドガーが門の向こうに去って行きながら幕。となるのですが、直後にカーテンコールが始まり、明日海さんと千葉さんが制服からメインの衣装に着替えているのは(ご挨拶の順番としてラストとその前とは言え)かなりの早業では?
 早業と言えば、エピローグの一歩前、現代パートのルイスが後ろを向いてマーシャルがさっとコートを脱がせると、下に制服を着ていて、5年前のギムナジウムに溶け込んでいくところが、面白かったです。「見せつつ自然に」変化する。小さなシーンだけと印象に残っています。


・ダンスが凄い

 なんと言っても、エドガーの影ダンサーズが凄かったです! 宝塚版ではエドガーと同じ白ブラウスで同じ髪形をした影たちでしたが、梅芸版では紫のブラウスに仮面をつけた妖しい影たちがバリバリ踊ります。
 エドガーの狂気のシーンで、暗闇から浮き出るようにエドガーの後ろにざっと並ぶ影たちには、背筋がぞくっとしました。ここと、アランを連れ去ろうとするシーン。DVDが届いたら、影ダンサーズだけリピートして何でも飽きずに見られそうです。
 全体的に、男性ダンサーが跳びまくっていました。ライフルを持ったグレン・スミス、ホテルのボーイ(お盆は手袋にくっついているに違いない)、生徒たち。気持ち良いくらい跳んでいます。
 
 他にも、エヴァンズの遺書でのユーシスと母の葛藤シーンなどで、ダンスが印象的でした。台詞だけだと説明で終わってしまうところで、切々と感情が伝わってきました。
 対して、ホテルブラックプールでの社交ダンスシーンは華やかで楽しかったです。ブラヴァツキーと踊るポーツネル男爵が面白い。


・一部の隙も無い脚本&構成

 原作は長編の連載の形ではなく、時代が前後し、語り手も変わる短編連作です。それを1幕80分、2幕65分の、およそ2時間半に纏めた小池先生の脚本が素晴らしいと思いました。

 現代を生きるマルグリットとバイク、マーシャル、ルイスが、狂言回しとして、エドガーの人生をたどる構成。オープニングの「エドガーは自ら名乗っている、ポーの一族と!」で、一気に世界に引き込まれました。エドガーに遭遇した者たちの子孫が、それぞれ伝え聞いたエドガーについて語り、彼の人生を追体験します。
 1幕最後の「愛のない世界」で、エドガーのこれまでの人生が再現されるところが、好きでした。何度も見たい、癖になるー。

 2幕に入ると家族が次々消滅し、アランを連れて時の果てに去ってしまったエドガー。観客が寂寥感でいっぱいになるところに、5年前にエドガーと会った少年の言葉&エドガーとアランが登場です。
 輝きのいまだ見えぬ地平へ去り行くエドガーとアラン。という終わりの方がドラマチックだったかもしれませんが、私は舞台版の終わり方が良かったと思いました。エドガーとアランは二人とも少し吹っ切れたみたいで、のびのび生きている様子で何より。原作で待ち受ける悲劇を感じさせず、ポップな「哀しみのバンパネラ」で幕が下ります。

 ホテルブラックプールの支配人サミー・アボットや、霊媒師ブラヴァッキー等のオリジナルキャラクターを登場させながらも、小池先生の脚本は原作を本当に大切にしたものでした。36年前に交わされた舞台化の約束。様々な事情で実現されない中、他から舞台化の話があるたびに「お約束した方がいるので」とお断りになったという萩尾先生のエピソードが大好きです。