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外資系企業で2度の事業撤退を経験するまでの軌跡 Part 2

初めまして。これまで5社経験をし、そのうち2社で日本市場からの撤退を経験した私の経験を書き綴ろうと思います。
その前に以下自己紹介です。

年齢: 34歳
出身: 北海道
子: 2人

こちらはPart2の記事になるのでPart1をまだ読んでいない方はPart1からお読みくださると幸いです。

さて、前回の記事で書いたように新卒で入社した物流会社で6年経験をさせて頂き、2社目に転職しました。
この2社目の転職が後々の人生を大きく変えることになるであろうことはこの時は一切考えていませんでした。
単純にもっと自分自身のスキルを伸ばしたい!という思いで転職という選択を選んだだけでした。その時は。。。

っで、2社目で選んだのは外資系の物流企業でした。入社したときはあまり外資系という印象もなく普通の会社と変わらない印象を持っていましたが、これまで自分がいた環境と圧倒的な違いはコミュニケーションの方法でした。
これまでは内線電話を使って社内で必要な時に連絡したりしていましたが、ここでは社内のチャットToolを使ってコミュニケーションをとる。と今では普通のように感じることもこの時はかなり新鮮でした。

あとは下の名前で呼ぶとか、席が自由とか、服装が自由とかいろいろと文化の違いってものを感じることができました。
肝心の仕事はというと最初の2週間はめちゃめちゃ苦労しました。ただ、1社目のブラック気質を引きずっているので日付変わるまで残って社内のSOP理解したり、現状の課題とかプロジェクトの進捗とか追っかけまくりました。
そのかいもあってか、業務のCatch upは割と早くできたんじゃないかと。

というような感じで約3年半くらいそこの会社で働いていました。

そしてそしてついに今回のタイトルにあるように2度の事業撤退の一度目を次の会社で経験することになります。
ただ、面接を受けているときの僕はそんなことも1ミリも考えていないです。(当たり前ですが)

というわけで次回パート3でその時の話をしたいなと思います。


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