2020年2月 対馬、小茂田

画像1 対馬の下島、西海岸の小さな集落、小茂田。元寇の際、元と高麗の大軍がこの静かな浜辺に押し寄せた。
画像2 小茂田の漁港。小型船による沿岸漁業がほとんど。
画像3 元寇、文永の役では、元と高麗軍3万人ほどが1000艘近い大小の船で来襲したとされる。うち1000名近くが小茂田浜に上陸、迎え撃ったのは対馬守護代宗資国率いる80騎余。当然討ち死にした。11月12日、浜では資国らを慰霊するため、海に向かって矢を射る「鳴弦の儀」が行われる。
画像4 今はテトラポッドが横たわる小茂田の浜辺だが、昔は遠浅の美しい海岸だったそうで、夏は子供達がサザエなどを獲ってきたそうだ。
画像5 集落の外れをお婆さんがゆっくり歩いていた。ここに限らず、島内の田畑はすべてイノシシ除けの網や柵で囲われている。5年ほど前からその被害が深刻になったという。
画像6 とある民家の庭に枝垂れ梅が咲き始めていた。樹齢50年ほどの風格ある古木だった。
画像7 小茂田の集落はほとんどが半農半漁という。漁網のかたわらに美味しそうなダイコンが干してあった。
画像8 宿泊したのは、2年前から始めたという民泊、小茂田イル・ソーニョ。息子さんが博多で経営するイタリアンレストランの名前を、宿の名とした。
画像9 イル・ソーニョの玄関には、立派な大木の根が置物として飾られている。
画像10 小茂田のすぐ隣、椎根集落に残る石屋根倉庫。海からの風が強いためこのような造りにしたのだろうか。どうやって屋根の上に上げたのか不思議。
画像11 火災や水害から家財を守るため、石屋根倉庫は住居から離れた場所に建てられている。
画像12 水が出ても浸からないよう、床は上げてあり、一区画毎に鍵穴が設けられて盗難防止としている。
画像13 港の一角に漁連の施設が設けられていて、魚の水揚げはここで行われる。
画像14 イル・ソーニョの夕食は、自家製10年ものの梅酒から始まる。
画像15 尾頭付きの新鮮なアジの刺身。もちろん旨い。醤油は九州ならではの甘口。
画像16 タイのカルパッチョはイル・ソーニョの名物。粒々はみずたまごというプロの料理人が使う食材。無味だが、こちらではブドウの果汁を注入しているので、爽やかな酸味がアクセントとなる。
画像17 赤エビの刺身もねっとり甘くて美味しかった。
画像18 麦焼酎、対馬やまねこ。対馬には他に、芋焼酎、米焼酎もある。昔は日本酒蔵しかなかったが、焼酎がブームになった時、壱岐島から杜氏を招いて焼酎造りを教わったという。
画像19 料理は写真の他に、ブリ刺身、山盛りのチキン南蛮、大皿のサラダと盛りだくさん。で、その後に、これもこの宿の名物、イノシシのすき焼きが登場する。イノシシは塊肉を独自ルートで薄目にスライスしてもらって使用するというこだわりよう。
画像20 イル・ソーニョの床柱は、山の中でご主人の友人が見つけたという桑の大木。それ自体はタダだったけど、磨き代で数十万かかったそうだ。
画像21 これまた立派な総桐箪笥。一間幅。なかなかお目にかかることはない。きれいに磨き治してあった。
画像22 イル・ソーニョの朝食はまた凄かった。自ら採取して作ったフキの煮物、南蛮漬けももちろん手作り。ヒオウギ貝焼き物、玉子焼き、ウインナなどは朝早くから焼いてもらったもの。なぜかバナナジュースがセットされている。
画像23 レンコダイの尾頭付き。表側はチーズ焼き、裏面は香草焼きと2種類の味付けで調理。
画像24 アッツアッツの茶碗蒸し。アナゴが入っていた。
画像25 上のお膳だけでもお腹いっぱいなのに、後から出されたのはエビのビスク。濃いエビの風味がたまらない。
画像26 帰りの飛行機から入り組んだ浅茅湾と無数の小島がよく見えた。典型的なリアス式海岸、一帯は国定公園に指定されている。
画像27 さらに飛行機が飛ぶと、対馬空港も見えてきた。凄い場所に空港を作ったものだと感心させられる。

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