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2023年2月 高知・奥物部

ジビエの宿で1泊した後、向かったのはさらに山奥。奥物部と呼ばれるエリア。30年以上前、「旅」の特集記事で奥物部を取り上げたことがあり、いざなぎ流というこの地に古くから伝わる民間信仰のことも少しだけ紹介したが、以来、機会あれば行ってみたいと思い続けてきた。その思いはJさんも同じで、今回、ニックスキッチンを予約してくれた時に、奥物部のいざなぎ流の太夫さんを紹介してもらっていた。
西村さんの宿と太夫さんの関わりが多いことには驚いたほど。宿を始めるに当たり、工事をする前にまず地鎮祭的なものもしていただき、さらにはあの槙の浴槽はかつて太夫さんの所で温泉が湧いていた時、ご自身用にと造ってあった浴槽を譲ってもらったり、部屋の冷蔵庫の水は太夫さんの所から汲ませてもらっている、といった具合。
徳島県境へと続く国道を遡ると、やがてダム湖畔に出る。奥物部ライダーズインなんて看板も現れた。さらに遡り、国道から川底に架かる橋を渡って細い道へ。両側の山が迫ってくる。一応、ガードレールはついている。また橋を渡り、やがて左手に、いざなぎ流祈祷殿→の石碑。少し開けた駐車場だろうか、空き地があり、その手前左に下へ下る細い道。太夫さんは祈祷殿ではなく、下へおりた建物にいらっしゃるはずと聞いていたので、そろりと下った。車を駐めると、人の気配はない。
と、軽トラが1台やってきて、男性が下りた。Oさんですか、と確認すると、11時と聞いていたが、との返事。ぼくらは10時半、と伝えられて、遅れないようにと送り出されていた。

この裏手に家がある。ふだんは南国市にお住まいで、用のある時だけ通われるそうだ。
家の裏手には物部川の支流が流れている。

招き入れられた部屋には薪ストーブが燃えていた。

燃やされている薪はケヤキなど贅沢な木々。よく乾燥しているようですぐに燃える。

1時間半ほどにわたり、太夫さんの貴重なお話しをいろいろ聞かせていただいた。非常に興味深い内容だった。いざなぎ流について知りたい方は、小松和彦氏の著作を参照されるといい。学生の頃からこのあたりに通っておられるようだ。
太夫さんになるには、家系などではなく、自らの意志で弟子入りすることが必要。現在の太夫さんの元にも何名もの弟子がおられるという。中には寺や神社で働く人もいるそうで、必ず寺社の了解をとってから来るように言っているそうだ。仏教とも神道とも共存するというあたりが、いざなぎ流の古さ、宗教の源流のような強さを感じた。
あと、いざなぎ流では御幣が重要な役割を果たしている。太夫さんはその昔、9.11の後、アメリカのニューヨークに招かれたことがあるそうで、大勢の人の目の前で土佐和紙を切って御幣を作ったという。その時、一番前で熱心に見ていた男の子にその御幣をあげたら、その子が「Oh GOD!」と言ったそうだ。子供は素直だから、理屈でなくて感じるんやね、と。

壁にはいろいろな写真も飾ってあった。
ニックスキッチンの西村さんから託された手造りお菓子を一緒にいただいた。
太夫さんは甘党で知られているらしい。

来年1月には大祭が行われるそうで、多くの人がこの山の中に集まるようだ。来てみたいなあ。
帰り際、ニックスキッチンでも飲ませてもらった水をペットボトルに汲ませてもらった。

この小さなお社の下に蛇口があって、美味しい特別な水を汲ませていただいた。霊水だね。

さて、太夫さんの家を出て、北川村方面へ向かう。来た時に渡った小さな橋を渡るつもりで道を間違えて、近くの集落へ向かう方へ行ってしまった。そこで橋を渡れば国道へ戻れるのでそのまま進む。と、山の斜面に柚子が段々畑になって上の方まで続いている景色が現れた。ほう。いい風景だ。

斜面に続く柚子の畑。

おや、神社もある。お詣りしていこう。

五社王子宮。本殿は昭和40年に改築されている。
鳥居の手前の石燈籠の上に鷹だろうか、鳥が据えられている。これは左手。
右手側にも鳥がいた。燈籠の側面には昭和三年と彫られていた。
本殿前の狛犬は、屋根で覆われている。

小さな神社だったが、とても大切に守り伝えられてきたことが分かる古社だった。

ここの地名は影仙頭、この名前すらなにやら曰くありげ。

周囲を見回すと、ずっと畑が斜面上方まで続いている。よくぞ、作ったものだ。

人の気配はまったくなかったが、ラジオの音ばかりが響いていた。
石垣の脇に菜の花。

仙頭大橋を渡れば、国道165号線。

朝渡った小さな橋とは比べものにならない規模の仙頭大橋。

さて、北川村へ向かおう。

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