2022年4月 加計呂麻島
加計呂麻島へ初めて来たのは20年近く前になるだろうか。30年以上前に仕事で初めて奄美大島を訪れる機会があり、その後プライベートで奄美大島へ来た時に足をのばしたのが始まり。当時はLCCなどないので、飛行機代だけでも大変だった。やっとLCCが飛ぶようになって、8年前に友人から行きつけの宿を教えてもらい、頻繁に通うようになった。
その友人と加計呂麻島へ。いつもの宿は事情があって休業中。喜界島へでも行こうかと思っていたら、加計呂麻島の知人宅に泊めていただけることになった。
成田空港第1ターミナルからピーチに乗って、奄美大島空港へ。いつも使っているくろうさぎレンタカーで軽自動車を借り、南下。船の時間まで余裕があるので、嘉徳集落へ寄ってみた。美しいビーチがあるのだが、工事が入って反対運動も盛んに行われている。
海岸には立入禁止のロープが張ってあった。海岸は本当に美しい。護岸工事など必要なのかしら。
集落内の廃校となった小学校校舎は小さな美術館になっている。カンパ箱が置いてあったので気持ちだけ寄進。
古仁屋から乗合海上タクシーに乗って加計呂麻島へ。海は穏やか。知人宅の庭には様々な花が咲いていた。
島には珍しい花も多い。イルカンダという花は初めて見た。木の茂ったところに蔦がからまって花が下がっている。教えてもらわないとなかなか見つけにくい。巻頭の写真は、道路に落ちていたイルカンダの花をフキの葉に載せて撮影した。標準和名ウジルカンダ。南国の花である。
ちょうど昼過ぎに潮が引く暦で、たくさんテラダを獲っていた。テラダは奄美大島ではトビンニャ、一般名はマガキガイ。茹でて食べると実に旨い。このお宅では、獲ってから3日間、海水に漬けて砂抜きする。茹でたてのアツアツは、ツメを持つと貝殻が勝手に落ちて、中身がツルンと出てくる。ウマウマなり。
加計呂麻島滞在中、ノドの調子が悪くなった。最初の晩になんだかノドがイガイガするなあ、と思っていたら、翌日には少し咳が出始めた。帰る日には咳がひどくなりガラガラ声になってしまった。出発前にPCR検査はし熱はなく熱はなくダルくもないので、コロナの心配はなさそうだが、気になった。と、モクマオウの花粉症かもしれないと言われた。ノドが変になっていく過程は、スペインでオリーブ花粉にやられたときと全く同じ。いや、初物アレルギーに弱いのかしら。ちなみにモクマオウは沖縄や奄美に、かつて燃料用に植えられた外来種。すぐに大きく育つので重宝されたようだ。
滞在中、レンタカーを借りて島内西部を巡った。安脚場戦跡公園へ。戦時中、大島海峡に敵国の潜水艦が入り込まないよう監視、攻撃する目的で、弾薬庫や監視台などが造られた。コンクリートの建物は、今もなお、ほとんど崩れずにしっかり残っている。イマドキの手抜きコンクリートじゃこうはいかないな。
諸鈍の海岸へも寄ってみた。デイゴの花はまだ気配すらナシ。木々は元気そうで安心した。
島内のあちこちを回る。昨年秋に加計呂麻島へ来たときは、ちょうど軽石騒動が始まったばかりで大変だった。最近、ニュースなどでも聞かないからとうに終わったもんだとばかり思っていたら、とんでもない。まだ海岸には打ち上げられるし、海中にもいっぱい漂っているらしい。小さな遊漁船はエンジンをやられるので使えないとか。
出かける前の天気予報では、加計呂麻島滞在中はずっと雨だったが、幸いにも動き回るときは雨には降られず、快適に過ごすことができた。帰りも、古仁屋港からくろうさぎレンタカーの片道利用。くろうさぎはこれができるからありがたい。
帰路は、崎原ビーチ方面へ寄り道。
半島の反対側へ回ると、大きなガジュマルの木があった。奄美一、という看板が立っていた。
赤木名の先の海岸に、このあたりに不似合いなお洒落な建物があった。伝泊、ののぼり。え、伝泊って、古民家を改装して泊まれるようにした施設じゃないの? こりゃ新しく造ってるよ。しかも1泊4万円もするらしいし。
空港へ行く前に昼ご飯を食べようと、赤木名の某有名鶏飯店へ行ってみたら、長蛇の列。こりゃあかん。近くの居酒屋風の店で鶏飯ランチ。1000円でまずまず美味しい鶏飯だった。
終わってみれば、印象深い旅となっていた。
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