2020年1月 岐阜

画像1 岐阜城、天守閣から長良川を見下ろす。左上には雪を少し被った伊吹山が聳えている。
画像2 岐阜のもつ焼き名店、水谷。土曜日は13時から営業。15時前に訪れたが、1階奥の席に座れた。が、食べたかったきも焼きは直前に売り切れていた。残念。
画像3 水谷のもうひとつの名物、どて煮。赤味噌でじっくり煮込まれたホルモンはしみじみ美味い。1本130円。
画像4 カキ塩焼き、心臓など食べた後に、ねぎまとホルモン焼きを注文した。こちらも130円ずつ。この店のおねえさん達はどんなに混んでいても注文は間違えない。
画像5 水谷の焼き台。働くのは女性ばかり。持ち帰りの注文も多く、焼き台はいつも串がたくさん並んでいる。
画像6 岐阜駅前に黄金色に輝くのは織田信長像。いつ見ても下品な像だと思う。
画像7 稲葉城時代の岐阜城の古絵図。山頂だけでなく。山麓にも城の建物が並んでいたことがよく分かる。
画像8 金華山を形作っているのはチャートだとは知らなかった。高校生まで岐阜で過ごし、金華山にも何度も何度も登ったのだが。
画像9 山上の城の下で発掘調査が行われていた。信長時代の石垣が発見されたとニュースにもなった。
画像10 発掘現場はフェンスで囲われていたが、どこが古い石垣なのかはよく分からなかった。
画像11 かつての信長時代の天守閣は家康によって取り壊され移築されたりして形はなくなった。明治末に天守閣が復興されたが焼失、その後昭和31年に再復興され、20年ほど前に大改修が行われた。
画像12 天守閣から北東を見やれば、長良川と御嶽山が見える。こうして眺めると、御嶽山の存在感は圧倒的である。
画像13 天守閣から岐阜駅方面、すなわち南西方面を見れば、木曽川と鈴鹿山脈が見える。小学校4年生まで過ごした加納はこちらの方向。中山道沿いの宿場町でもあった。
画像14 天守閣から西の方の眺め。伊吹山と鈴鹿山脈の間の山並みがへこんだあたりが、天下分け目の関ヶ原。
画像15 天守閣に展示されている木造織田信長座像複製。天正11年、信長の一周忌が大徳寺で行われた時に制作されたという。
画像16 信長時代の岐阜城は山頂に天守閣があり、山麓には政庁やもてなしのための建物が立っていたとされる。その復元写真。
画像17 山上の岐阜城資料館に等身大の信長像が展示してあった。派手な衣装がそれっぽい。
画像18 天守閣からロープウェイ駅へ繋がる道の石垣は信長時代の建造と言われ、この下に、貴重な井戸の跡も残る。
画像19 下山は七曲がり登山道で下った。階段や広い道が整備されたファミリー向けの登山道。20分で下った。高校時代はまっすぐ登る最短ルートを駆けるように友人と競い合って登り、20分弱で登っていた。
画像20 岐阜公園内の歴史資料館前に、ゆるキャラひあゆ丸がいた。周辺には武士のコスプレ姿の人が数名うろうろしていた。
画像21 歴史資料館の2階は、ちょうど訪れた1月19日から放映が始まったNHK大河ドラマ、麒麟がくる、の専用展示館となっていた。
画像22 大河ドラマ館内には、ドラマ撮影の舞台裏資料映像や、各種展示がされ、登場人物になって撮影できるコーナーもあった。斎藤道三になってみた。
画像23 大河ドラマ館内は多くの見学者で賑わっていたが、学生服姿の若者が各コーナーにいた。それぞれの展示に関して説明をしてくれるが、聞けば、ボランティアだという。偉いなあ。
画像24 名古屋からの新幹線車窓には、たっぷり雪をのせた富士山が見えた。

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