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2024年5月 佐柳島、高見島

多度津港からまず佐柳島へ渡る。フェリーは、14時に出航後、高見島、佐柳島本浦港を経て、終点佐柳島長崎港へと至る。15時5分入港。下船したのはほんの数名のみ。

多度津港桟橋近くには漁船だけでなくヨットも停泊していた。
遙か彼方に瀬戸大橋が見えた。
まだ下船はしなかったが、海から見た高見島の集落。小高い所の家々は古い町並み。
佐柳島長崎港の岸壁に着岸。車は佐柳島本浦港にしか下ろせないようだった。

港から集落の北外れへ向かう。そこは両墓制墓地。手前に何やら怪しげなポップな一角。一瞥のみで通り過ぎた方が賢明そう。さて、島の北端から南の本浦港へ向かって歩こう。

曰くありげな石地蔵。この島も地蔵や小さな神社がたくさん祀られている。
海岸通りから1本中に入った道は昔ながらの狭い道。
こちらは小さな神社、龍王宮。ぺこり、御挨拶。
さっそく、ネコ達がいた。ここ佐柳島は猫の島。フェリーにも猫目当てらしき女子がいた。この長崎港近くにもカメラを抱えた女子発見。ネコにエサをやりながら撮影してる。

海沿いの道をひたすら歩く。

小島という島が見える。送電線の電柱が立てられている。
海辺にアオサギがいた。
ネコノシマホステル。当初ここに泊まってもイイかと思ったが、本日休館日。伊吹島より先にこっちに泊まることも一応検討したが、予約は1ヵ月先からとかウザいことを言うので、やめた。どうせ、猫写真マニアしか来てないだろうしね。

さらに南下。

北の長崎の集落外れにも両墓制の墓地があったが、こちら本浦の南にも。他の島と違って、埋め墓と詣り墓が同じ場所にある。それぞれ異なる場所に設けている島もあるが、場所がないからだろう。もうひとつの特徴、埋め墓は海に背を向け、詣り墓は海に面している。

さて、高見島行きの船を待とう。17時10分発。

待合室前にはたくさんネコがいた。ちゃんとキャットフードが置いてある。伊吹島のネコに比べて、ここのネコは毛並みもきれいだし、健康そうだ。栄養が足りてるんだろうな。
待合室に有名なネコのジャンプ写真が貼ってあった。港近くにいたカメラ女子に、ジャンプ写真撮れた?と訊いたら、嬉しそうに、ハイと答えた。反対側の堤上に置いて、ネコを飛ばせるようだが、この島のネコ達はそういうリクエストにもうすっかり慣れているようだ。
美しい客船が沖を航行してるなあと思ったら、どうやら日本丸らしい。クルーズの最中か、次のクルーズに向けての移動中かな。

さて、冒頭写真のフェリーに乗って、高見島へ移動した。宿は、港近くの森田民宿。お婆さんに出迎えられて、まず一風呂浴びて、早速、夕食。他に客はナシ。

刺身はサワラとカンパチと言われたが、サワラっぽくはなかったけどなあ。あまり魚に興味なさそうな雰囲気。フライはチヌと野菜。焼き物はタイとイカ。煮付けはタイ。飲み物は自分で買ってくるようにと事前に聞いていたので、ビールや酒を多度津で仕入れてきた。

島には他に宿がないようで、芸能人もいろいろ泊まったことがあると女将さんは言う。あてがわれた2階の部屋は、郷ひろみが泊まったと自慢されたが、ただの民宿の部屋にすぎない。高台の古い町並みは、今では誰も住んでいない。あとを継いでる子孫が時々掃除をしに来る家もあるらしい。傷んだ家を修理したくても、狭い急坂の道で資材や重機を入れることができないので手の付けようがないとも。まだ住人がいた頃、1軒1軒詳細な調査をしたレポートがあるから読めと渡された。

もうバラバラになりそうな状態の資料。
高台の町並みの様子は、見た目だけは今もあまり変わりはない。巻末には各家の実測データも付けられていた。

翌朝、カーテンを開けたら、正面に朝日が昇っていた。

島にいると東西南北の方向がよく分からなくなる。ああ、東向きだったのか。
朝ご飯。昨夜、夜通しで漁に出ていた息子さんが獲ってきたというニベを煮付けてくれていた。これがめちゃくちゃ美味しかった。
こちらが森田民宿の外観。

今日の予定は、昼過ぎまで島内めぐり。昼ご飯を食べる店も商店もないので、1泊3食付きで予約してある。まずは、昼前に一回りしてこよう。時間もたっぷりあるから、見晴らしの良さそうな龍王山山頂まで登ってみようかと思っていたのだが、誰も歩く人はいないから道も崩れているかもしれないし、最近増えているイノシシに襲われる危険もあるからやめておけと、昨夜、釘を刺された。

宿のすぐ近くに高台への登り口がある。お助け杖が必要な急坂。
いきなりこんな坂となる。
坂の上にまず小中学校がある。平成22年に廃校となった。現在の島の人口は30名ほど。

さあ、この先が集落だ。と、いきなり道幅が狭くなり、車は絶対は入れないことが分かる。

石垣を組むことさえ大変だったことだろう。

黒々した瓦屋根の家が多い。お、なんだあれは。

天女の鬼瓦。見所があると、石垣に案内掲示がちゃんと出ている。

片側が石段の細い道をゆっくり歩く。

無人とはいえ、家々はちゃんとしているし、石垣も崩れることなく保たれている。
石段と急坂の四辻。映画「瀬戸内少年野球団」の撮影時には、夏目雅子が立っていた。
そして、ご存じ寅さんのロケも行われている。第46作、男はつらいよ 寅次郎の縁談。家出をした満男を追いかけ島へ来た寅さんが、ここでヒロイン松阪慶子と出会ったという設定。

一番高い場所にお寺。大聖寺。

門が鐘楼になっていて、棟木を支える力士像が見えた。
鮮やかな花はアニソドンティア。サクラアオイとも、ヒメフヨウとも呼ばれるらしい。
石垣に紅い花が咲いてるのが見えた。
サボテンビャクダン。しかし、世話する人もいないのに、たくましいこと!

北の外れに祇園社があった。

ここも、今でも時にはお詣りする人がいるのだろう。ちゃんとお詣りしておいた。

もう一度、集落内へ引き返す。中でも一際立派なお宅が中塚邸。

映画のロケなどでも使われるという中塚邸。

海岸沿いの道路へ下って、北へ向かうと本宮殿。向かいには塩飽諸島の広島が見える。昔、行ったなあ。こんなに近いのか。

本宮殿。ここまでの道端には、たくさん地蔵があった。

さあ、一度引き返すか。宿を通り越して、港の先へ。ここにも両墓制の墓地があった。さて、これ以上、島の中で行くところもない。まだ、10時過ぎ。午前中の船で多度津へ渡ろうかな。というわけで、宿へ戻り、精算を済ませた。

港の待合室前のオブジェは瀬戸芸作品。なんと、制作費は1000万だそうな。
多度津港行きのフェリーがやってきた。

さて、想定外の時間を手にしたが、多度津で昨日休館日で寄れなかった資料館へ寄って、早めに今日の目的地、阿波池田へ移動することにしよう。


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