関東の乗ったことがない路線 習志野と新京成線
京成本線の京成津田沼・総武線の津田沼駅を起点に常磐線の松戸駅の間をくねくね走るのが新京成線。26.5km、24駅の中規模の鉄道路線で、新京成電鉄株式会社が運行している。
コロナ前で売上約157億円、2023年3月期で約140億円程度。事業としては鉄道が7割、不動産他で3割、グループには沿線の路線バス会社と駅ナカなどのリテール会社がある模範的私鉄会社といえる。
沿線はTheベッドタウン。千葉県下第2位と第3位の人口規模を誇る船橋市と松戸市を通り、京成津田沼駅では京成本線と京成千葉線、途中の新津田沼駅ではJR総武線、北習志野駅では東葉高速線、新鎌ヶ谷では東武アーバンパークラインと北総線、八柱駅でJR武蔵野線、松戸駅でJR常磐線とそれぞれ接続することで環状線のような役割も担っている。
京成津田沼駅からは昼間時間帯の一部が京成千葉線で千葉駅方面にも直通していて、千葉市方面とも一本で行けるようになっている。
新津田沼駅と京成津田沼駅の1区間を除き全線が複線で、6両編成の電車がラッシュには5分に1本、昼間も10分間隔、全列車が各駅停車。端から端まで約44分かかる。
名前の通り京成電鉄が約45%の株式を保有する関連会社だったのが、2022年9月1日に京成電鉄が株式100%保有として完全子会社化、さらに2025年4月1日に吸収合併することが発表され話題となったのが記憶に新しいです。京成電鉄の発表によると、新京成ブランドと路線・車両・運賃体系は継承するとのこと。
新京成線は陸軍の鉄道隊に演習線をもとに戦後に京成電鉄に払い下げられ旅客鉄道化したというエピソードは意外とよく知られているよう。1947年に新津田沼駅から薬円台駅までの最初の区間が営業開始、徐々に延伸され1955年に津田沼と松戸の間の基本の全区間が開通(開通後新津田沼駅は複数回移転をしている)。
新京成線が走っている地域一体は下総台地の高台が広がっている習志野と呼ばれる地域。この台地一体は江戸時代に徳川幕府によって整備された軍馬や牛の放牧地に活用されていて、明治時代には陸軍の演習地に転用された。その演習地を観閲した明治天皇が習志野原と名付けたことが始まりとされている。
明治時代に拡大していた鉄道は陸軍の兵站においても重要視され鉄道専門の部隊が設立され、日露戦争後に現在の津田沼駅一帯に鉄道連隊第三大隊が都内から移転してきた。習志野原で線路を敷設する演習で作られたのが今の新京成線の土台ということになる。第三大隊の兵舎や工廠などは千葉工業大学に転用されている。
カーブが多いのは、カーブの方が敷設するのが難しくて演習になるからと言われている。戦後旅客化にあたっては、用地と地盤を活用しながらもなるべくカーブを減らしているけども、一方で地形的には台地の尾根に沿っていたため、沿線は基本的に高台で宅地開発しやすいというメリットにもなった。松戸市、船橋市の無駄に多い人口を支える路線になっている。
ちなみに新京成線となった区間とは反対方向に千葉方面にも演習線は伸びていて、今ではハミングロードという遊歩道や、公園などになっている。