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どんな瞬間でも説明できるように

こんばんは、今日は「どんな瞬間でも説明できるように」というテーマでお話しさせていただきます。

僕は一応、自主映画を作っている者なのですが(前作を作ってから三年以上経っているので、なんか、あれなんですが…)自分の作品内のことに関しては、どんな瞬間のことでも筋の通った説明ができるように心がけています。いや、心がけているというか、そうでありたいと思っていると言ったほうがいいですね。

これに関してはそうでなければいけないという意味ではなくて、あくまで僕自身は僕自身の作品のことに関してそうでありたいと思っているだけです。他の方は他の方でそれぞれの作り方があるでしょうし、それでいいと思っています。皆が僕と同じような考え方で作品を作るべきだなんて思いは皆無ですので誤解なきよう。

えっとですね、この「説明できるように」というのは、僕自身がその作品のその瞬間の出来事をきちんと理解できているかということでもありますし、理由があって意味付けができているかというものでもあります。

例えば自作の映画のあるシーンにおいて、誰かから「このシーンであの人がこういった行動をするのはどうして?」という疑問に対して「こうこうこういった理由で、こういったことが、こうなるから、あの人はこういう行動をするんだよ」ときちんと説明できる状態でいたいということです。

わかりやすくするためにあえて表現するならば、「感覚的になんとなくいいよね」っという瞬間をできる限りなくしたいのです。

感覚的なセンスで作品を捉えたり、シーンを形作っていくことがダメだとかそんなことが言いたいわけではありません。何度も言いますが、あくまで僕自身はそうではなく理屈で組み立てていきたいと思っているという話なのです。

何故理屈で組み立てたいかと言えばいくつか理由があるのですが、ここでひとつ理由を挙げるならば、再現性の有無です。
感覚的になんとなくいい、というものはその時は確かに感じることができるかもしれませんが、違う作品で違う作品で同じように感覚的にいい感じに作ろうとしたときに再現性がありません。でもその感覚を理屈に落とし込めて論理化することができるならば、それを違った形で再現することは可能だと思いますし、応用も可能になるだろうと僕自身は考えているからです。

才能があって、センスがあって、新しい何かを次々に作り出せる人は確かに存在します。天才って程ではなくても、才能のある人っていうのはいるのです。
でも僕にはそんな才能はありませんし、自分のセンスをそこまで信じることができません。なので一つ一つを論理化して理解していきたいのですね。僕がそれだけ臆病であるというだけの話かもしれません。

理屈で組み立て、説明ができるというのはどういうことかと言うと、以前にこの記事に書いたような内容です。


この作品を作った時も今もまだまだ僕は未熟なので、理論は穴だらけですし、感覚だけで乗り切らざるを得ない瞬間も多々あるのですが、すべての瞬間に意味を持たせられるようにという意識は持ち続けていきたいなと考えている今日この頃です。

ちなみにリンク先の「ホラー映画の作り方」という記事は、僕が毎日更新しているような記事と比べてアクセス数が格段に多いです。いい悪いということではなくて、タイトルからも記事の内容がわかりやすいからかもしれません。まぁアクセス数は気にしないように心がけているので、毎日の記事は今後も続けていきます。

今日も読んでいただきありがとうございます。

それでは皆さん、よい夢を。

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