変化の早さにどう適応していくか

こんばんは、近頃の缶ビールとか缶ハイボールの売上は伸びているのだろうなと考えている栗山陽輔です。

今日は「変化の早さにどう適応していくか」というテーマでお話しさせていただきます。
コロナウイルスの影響で、連日のように社会の状況が動き続けているので、ずっと頭の中が忙しく、あまり不満とか閉塞感を感じている暇のない僕のなのですが、なんというか、一部の適応力の高い方々を目撃すると、さすがだなぁと感心してしまいます。
本当に今の情勢は目まぐるしい。ちょっと頑張って思い出してみたんですが、そういえば少し前まで東京オリンピックのマラソンを東京でやるか札幌でやるか揉めていたりしましたよね。今となってはもう、遥か彼方の昔の話です。今こんな話を、「マラソンはやっぱり東京じゃなくて札幌でやるほうがいいよね」とか言ってる人間がいたらドン引きですよね。もうそこからどれだけの段階まで世界が進んでしまったと思っているんだという話ですよ。

ひと月ほど前には音楽ライブや演劇公演の中止が、かなり残念なニュースとして流れていましたが、今となっては受け取る側の雰囲気も少し変わってしまっているような気がします。不謹慎な言い方になってしまう可能性もありますが、なんだか中止のニュースが当たり前になってきている程だと僕個人は感じています。いや、もちろん当事者の方々の気持ちを思うとやるせない気持ちになるのですが。

もしも僕が今のような状況で、かなり多額の金額をかけた大規模なイベントの中止を決定したとしたら、何をするだろうか。他の多くの方がすでにされてきたように、残念なニュースとしてお伝えするだろうか。
あくまでもしもの話なので、机上の空論で無責任な考えなのは百も承知ですが、今日考えていたところで言いますと僕ならたぶん、中止にすることで被った借金の額を公開したりするかもしれません。
劇場のキャンセル料とか、そういった領収書があればそれを写真にとって、ネット上にアップしてしまう。その上で
「こんだけ損失でました。全部僕の借金になっちゃいました。取り返すんで待っててください」的な流れに持っていくかなぁ。こうしてしまえば、金額がでかければでかいほどインパクトあるはずだよな、とか今日は考えてました。まぁ無責任な戯言ですが。

で、つまり今日の話で何が言いたいかというと、結局こういった目まぐるしい状況に置かれたときに、フレキシブルな対応ができる人とできない人の違いというのは、責任があるかどうかだと思うのです。

これは別に責任から逃れようとするなという話ではありません。まぁ責任逃れをするのは見苦しいのは確かですが、実際のところ、現場での責任に関することで一番問題になるのは、誰の責任になるのかが明確でないことだったりするのではないかと思っています。加えて、責任が分散している時ですね。

どんな事業も、どんなエンタメも、大きくなればなるほど関わってくる人たちの数も多くなります。そうなると必然的に大きな会社が何社も関わったりするところも出てくる。
他にも出資者だったり、スポンサーだったり、関連会社の株主だったり、色々な方が直接的だったり間接的だったりにしても関わってしまうものなのですね。
そうなると、今回のような不足の事態が発生した際に、あらゆるところに窺いを立てなきゃならなくなるのです。
たとえ公演中止になった劇団の座長が「責任は私がとります!」と言ったところで、「いや、勝手なことをされたら困るよ」と声を上げる関係者がいっぱい出てきてしまうんですね。

責任を取るためにも、相応の立場と手続きが必要なんです。

そんなことを考えてみると、今の世の中、もしかしたら実行力のある独裁的な行動をするリーダーが世界中で発生してきてしまう可能性もあるのではないかと考えてしまいます。
例え話としては出したくもないのですが、もしも今ヒトラーみたいな人間が現れたら、大衆の人気を得る可能性が高いのではないかと思ってます。もちろんヒトラーみたいな人間が現れては絶対にいけないのですが、独裁というか、全部の責任を背負って実行力のあるリーダーが出てくる可能性は高いのではないか、なんて思ったりしてます。
まぁそんなリーダーが生まれてこれるようなシステムには日本も含めて多くの国がなっていないでしょうから、そんな簡単な話ではないでしょうが。

なんでこんな話をしているのかと言うと、なんだか、自分の自主映画監督としての活動も、やはりこういう形に落とし込んでいかなきゃいけないなと再確認したからです。

商業映画を目指すことを辞め、自主映画監督として今後活動を続けていくことを決めた際、いくつか自分の中で決めたことがあるのですが、(これまでもちょこちょこと書いてきましたが)その一つが、責任を取れる現場にすることでした。
格好つけるわけでは全くないのですが、全てが僕の責任になる現場で映画作りをしたいと思ったのですね。
作品が評価されたり何かで勝ちだと思えた時には、関係者全員の勝ちになって、何かで負けた時には僕の一人負け。全負債を僕一人が抱え込み、他の誰も損をしない。
そんな風に根本から形作っていかないと、監督として誰かを巻き込んでいく資格はないんだろうなぁと、当時(半年ぐらい前)はかなり漠然と考えていたのですが、ここにきて妙にしっくりきてしまって、膝の震えが止まらない僕です。

皆の考えも意見も聞く。でも最後は僕が決める。そういう場を作らなきゃいけないと思っているのですがね。理想論だとはわかっているんですが。

結局僕自身はまだ何にもできていないのに、毎日毎日偉そうなことばかり言ってしまっているけれど、頑張っている人は本当に応援したいなと思っている今日この頃です。

これは前にも書きましたが、今は止まっているだけで、なくなったわけではないので、新しく。戻るんじゃなく、新しく。

今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。

それでは皆さん、よい夢を。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?