先日本屋に行った時に考えた話

こんばんは。今日は先日本屋に行った時に考えた話をします。

随分久しぶりに、結構な大きさを誇る本屋に立ち寄り、特に目当ての本もなかったのでぶらぶらと店内を歩き回り、何かいい本はないかと思って小一時間過ごしていたのですが、その日は結果として一冊も買うことはありませんでした。

かなり大型の書店だったので、その本屋に並べられている本は、きっと僕が一生かかっても読み切れない程の数にのぼるでしょう。僕の中にその時、確かに「何か本でも買おうかな」という気持ちは存在していましたが、その時僕は数えきれない程、大量に並んだ本を小一時間眺め、「選ぶ理由が見つけられなかった」という理由で購入することはありませんでした。

何を言っているんだと思われるかもしれませんが、昨今の出版業界の低迷、本が売れない時代と言われているのは、この「選ぶ理由がない」からだと僕は思っているのです。

これ、大した話では全然なくて至極当たり前の話をしているのだけなのですが、何だかその時、本屋に並んでいる本を見ていて、本という存在そのものに、選んでもらうための理由は付属していないんだなと実感したのですね。

本当に本が好きな方なら、もしかしたら違うかもしれません。
今日は一冊何か本を買うと決めて、全く知らない本だけどとりあえず手に取って買う。そしてちゃんと内容を読む。面白いか面白くないかを楽しむ。そんなランダムな選び方の中で、偶然に出会うことができた名作があり、その出会いが大切なものとなる。

僕の場合、20代の中頃に本ではなく映画に対してこんな行動をとっていたことがあって、特に選ぶ理由がなくても毎週大量にレンタルをして一日に二本以上観る。という生活をしていた時期があるのですが、まぁこんな顧客の存在は本当に稀です。

なので一般的には、本でもレンタルDVDでも、ネットフリックスなどで配信されている映像でも、映画館で上映されている映画でも、選ばれる理由と言うのは当然ながら必要になるわけです。

そしてその選ぶ理由は、コンテンツ自体の内容によるものではない。
作家は誰かとか、監督は誰かとか、出演は誰かとか、友達が面白いと言っていたとか、ネットの口コミとか、コンテンツに関連する、別の場所から得た情報を結び付けることによって、選ぶ理由は発生するということが感じられたのですね。

本屋で表紙を見て、何か感じるものがあったからという理由で購入することも、もちろんあります。
でもそれは細かく考えると、本棚に平置きされていた本ってことですよね? 本棚に多くの本を並べようと思ったら、当然ながら多くの本は、ほぼほぼ背表紙しか見えなくなってくるはずです。その中から、平置き、つまりは表紙が見えるように陳列されているってことは、その本を平置きにすると判断した誰かがいたから、になるんだよなってことです。
平置きにした店員さんは、人気だから平置きにしたのかもしれないし、話題のYou tuberが紹介していたからかもしれないし、新刊だからかもしれない。個人的な趣味でこっそり平置きにしたのかもしれない。

ちょっと何を言ってるのかわからないかもしれませんが、凄くざっくりまとめますと、僕個人の考えとしては「いいものを作ったら売れる」という考え方には、あまり賛同できないなぁということであります。作品の内容だけを考えてちゃいけないとまでは言いませんが、内容だけじゃ足りない部分も確実にあると思うのですね。

だって数えきれない程の本が並んでいるなかで、すべての本を開いて内容を確認なんてしてられないもの。

だからと言ってどうすればいいかという答えというものも、見つかっていないのですがねと考えている今日この頃です。

いやはや、僕は一体何を書いているのやら。

それでは皆さん、よい夢を。

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