同じコンテンツを作り続ける覚悟はあるか
こんばんは、栗山陽輔です。
昨日に記事を投稿できなかったため、本日二回目の投稿であります。(さらに本当は今月中にもう一回余分に投稿しなければいけない予定ではあります。一日一更新がデフォルトなので)
さて今回は「同じコンテンツを作り続ける覚悟はあるか」というお話です。
最初に言っておきます。僕には現時点において、同じコンテンツを作り続ける覚悟はありません。ですが、いつかはきっと、もしかしたら、世間が求める声に応じ、求められるものを提供し続けられるようなクリエイターを目指すかもしれません。
あくまで、現時点では、僕自身にその覚悟があるかと問われれば、「ない」と答えるしかないというお話しです。
同じコンテンツを作り続けるというのは、わかりやすい例を出すならば、ホラー映画を作り続ける巨匠の映画監督を考えてもらえばいいかもしれません。
どれだけ自分自身のクリエイションに限界を感じていても、求められる限り全力を尽くしてそのジャンルの作品を作り続ける。そういった印象は僕の勝手なイメージではありますが、そういった方々の姿に僕は尊敬に近い感情を持っております。
僕、個人的に凄く胸に残っている言葉があるのですが、それはあのジブリの宮崎駿監督が、エヴァンゲリオンを作った際の庵野監督に送ったとされている言葉なのですね。
「お前、こんなの作ってしまったら、一生エヴァを作り続けなくちゃいけないぞ。もしくは自殺するかしかないよね。エヴァを作って自殺するなんて、かっこよすぎるけど」
あくまで何かの書籍で読んだ記憶がある言葉なので真偽は確かではないし、細かな部分は違っているかもしれないのですが、なんだか、凄く深い言葉だと当時の僕は思ったのものです。
クリエイター側のエゴっていうと言葉は悪いですが、作る側からすると、常に何か違ったことがやりたいんです。たとえその違ったことに関する具体的なアイディアがなかったとしても、違ったことがやりたいんです。同じことを繰り返すようなことは、自分自身の感性や創造欲のようなものとは逆行してしまって、素直に受け入れることができない。
しかしながら、観客側のに立って考える場合、全く逆の立場を取らざるを得ません。
宮崎監督の次回作に期待するものは、過去と同じジャンルの、同じ匂いのする作品のさらに上の作品であり、庵野監督の作品に期待するのはエヴァか、エヴァのようなものか、エヴァを越えるようなエヴァのような作品に違いなかったのです。
この思いは庵野監督が「シン・ゴジラ」を作り上げた数年前に僕の中に霧散したのですが(僕はシン・ゴジラを初見のときに涙をしたのですが、そういった意味も含んでいたのかもしれない)基本的に、一人のクリエイターが世間に広く認めらることはまず難しく、もしも認められてしまったならば、その作品を生み出し続けなければいけない宿命のような責任が伴うのが人の世の常だと思っています。
自分ごときがこんなことを言うのもなんですが、僕は5年前に「なかよくなれたらいいな」というホラー映画を作った時、これまでの自分のクリエイションの中では、かつてないほどの手ごたえを得ました。そうなると次回作で期待されるのは間違いなくホラー映画です。
未だに、僕が勝手に思っているだけかもしれませんが、僕がホラーを作ることを待ってくれている方々がいらっしゃるように感じることもあります。
そんなことを感じていましたが、その次の「あなたに会えたらよかった」はホラーとは全く違うジャンルの作品になりました。
もしかしたら、ある程度の反逆心のようなものは存在していたかもしれません。(もちろん、作りたいものを作った結果でありますが)
僕ごときのクリエイターには、それほどの大きな期待も寄せられませんし、勝手にすればいいだけだと理解はしています。しかしながらいつの日か、何かの期待値が高くなったとき、その際に僕は期待に応えるクリエイションをしていくのか、それとも反逆心のようなものを見せてしまうのか。未だに答えが出ない今日この頃です。
ちなみに、期待に応える理由を「お金」だけにしたくなくて、ビジネスモデルを今の段階から考えていたりするのですが、今後の展開についてはあまりにもわからないことが多すぎるので、確かなことは言えません。
でもやりたくないことだけは、やりたくないなと考えています。
楽しくやっていきたいですね。
それでは皆さん、よい夢を。
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