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【映画分析】ある過去の行方 ~作品の面白さを考える~

こんばんは。今日は映画分析第二弾。
僕の大好きなアスガー・ファルハディ監督の作品、「ある過去の行方」を取り上げます。

映画分析、つまりは作品のどういった部分に心動かされ、感動し、のめり込み、カタルシスがもたらされるか、といったことを構造的に把握し、解体し、言語化することです。
この記事は、映画に込められた深い意味や物語を掘り下げる考察や解説や、その映画の素晴らしさや魅力を伝えるためのオススメのような記事ではありません。あくまで分析です。

ある過去の行方について

取り上げておいて何ですが、この作品自体の知名度は一般的には高い方ではないと思います。普段からミニシアターに通っていたりするかなり映画好きな方でないと、アスガー・ファルハディ監督の名前すら聞いたことがない方も多いと思います。

前回の映画分析で「アリータ」を取りあげました。
第二回はもう少し一般的に知名度の高い映画を取り上げるべきかなと悩んではいたのですが、やはりこの作品が好きすぎるので、取り上げることにしました。

アスガー・ファルハディ監督作品の特徴と感じられるのは、濃密な人間ドラマ、淡々とした語り口、そして音楽をほぼ使っておらず、さらには説明的な回想シーンなども基本的に存在しません。(どれかの作品には存在するかもしれませんが、僕の記憶にはありません)
一見するとエンターテイメント的な演出が存在せず、本当にそこに存在する人物たちの時間を切り取っただけかのような魅力があります。

物語が進むべき方向性の暗示

今日は冒頭の演出による、作品としての方向性の提示について考えていきたいと思います。

これはこの作品の最初のシーン。
空港らしき場所で女性が誰かを待っている様子。
聞こえるのは空港の騒がしい雑踏のみ。

すると程なく、ゲートらしき場所から男性が出てくる。

手を挙げて声を掛ける彼女。しかしこの時彼女の声は聞こえない。
彼女はガラス越しに男性に手を振っているからだ。
さらにこの時、最初のカットから彼女が右手にガーゼのようなもの(名前がわからないのですが…)を巻いていて、何かしらの怪我をしているかのように思える。
この、手を上げるシーンがあることでガーゼの存在が強調される。

だが、相手の男性は彼女の姿に気づかない。
その時、彼女は自分が右手にガーゼを巻いていることに気づく。

すると、何故か彼女はガーゼをはずし、鞄の中に隠すかのように仕舞う。

少しして、彼が彼女の姿に気づく。
ガラス越しに交わされる声が届かない会話。どこか含みのある微笑み。

この時点では彼らの関係性はわかりえないことですが、彼らが再会を単純に喜ぶような関係性ではないことは、僅かながらに感じ取れる。

その後二人は、どしゃぶりの雨の中を走って車まで向かい、車の中での会話で観客は初めて二人の声を聞くことになります。

そこで彼が、彼女はガーゼを取っていたにもかかわらず、彼女が手を痛めていることに気づいたり、その後車を彼女が運転し始める際に彼に反対側を見ておくように頼んで、車を発進させた瞬間に他の車と接触しそうになったりと、本当に静かな静かな演出が散りばめられていて語っているとキリがないのですが、ここまで来て、「Le passé」というタイトルが出るのですね。

ここまでにあったものを細かく考えていくと、まず彼女の右手の怪我。
何故怪我をしているかというのは後のシーンで簡単に説明されているのですが、ここで大事なのは怪我をしているという事実ではなく、彼女が彼と会う直前にガーゼを外していたという部分。
ここだけでは意味がわかりませんが、この映画全体を通してみると、この映画が、見栄と虚栄、そして意地とプライドと罪悪感のせめぎ合いのようなドラマであることがわかるんですが、このガーゼをはずす彼女の姿から、この映画内での一番最初の小さな小さな彼女の見栄が表現されているのだと思うのです。ここで観客にこの物語がどこに向かって進んでいくのか、小さな一歩目を刷り込んでいるように思えるのですね。

そしてその後のガラス越しの会話。
これは実にわかりやすく、二人の間には見えない壁が存在していることを象徴しています。

さらに車内で彼は彼女の手の怪我に気づきますが、これも彼女の見栄があっさりと見抜かれたこと、同時にそれに気づく程、彼女の小さな変化にも気づけるような男性であることなど、二人の関係性が暗示され、車を出す際に彼に反対側を見るように頼み、車を出す彼女ですが、すぐに車を出した瞬間に事故を起こしそうになってしまい、彼と彼女の協力作業がうまくいかない暗示があるのです。

ここまでで、かみ合っているんだけど、どこかがかみ合っていない何かを二人の関係から感じることができるのですね。

そしてとても秀逸なタイトルカット。

このタイトルの文字は、表示されると同時に徐々に消えていきます。今二人が乗っている車のガラス上にある何かのように、ワイパーで拭われていくように消えていく(前のシーンから続いてワイパーの音がしている)

タイトルの原題は「Le passé」。フランス語で「過去」という意味です。

ここでタイトルを徐々に消していくことで、この映画が、「過去を消していく映画」であることが表現されているのですね。車のワイパーという表現から、もしかしたら過去の清算であり、何かを拭っていく、過去を拭って視界を広げるという意味も込められているのかもしれません。

細かな演出で、気づかぬうちに観客は魅了されていく

このように、アスガー・ファルハディ映画は一体どれだけ綿密に作り上げられているのかわからないほど、一つ一つの意味を拾っていくことができます。

本当に面白いですよ。

さてさて、今回もほぼ冒頭だけで終わってしまいましたが、次回以降も引き続き「ある過去の行方」を取り上げて、順にシーンを追っていきたいと思っています。一体どれだけ続くかわからないレベルになりそうですが、楽しみながら書いていきたいと思います。今後は一作品につき、一か月程で書けたらいいなと思っています。

毎度のことですが、ここに書いていることは単なる僕の考えであり、感想にすぎません。どんな演出が良くて悪いだとか、これが正解だとかそんなことではなく、あくまで僕の感じた事であります。ご了承を。

ではでは映画分析はまた後日。

それでは皆さん、よい夢を。

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