何をすればいいのかと迷うなら

何かやりたいことがある。
達成したい目標がある。
だから計画を立て、何をすべきかを考える。行動に移す。小さな努力を積み重ねる。やるべきことをやる。
しかしふと、不安になる。
目標への道はこの先に続いているのか。
そもそも、自分がやるべきことは本当にそれでいいのかと。

こんばんは、栗山陽輔です。
ようやく新しい仕事にも身体が順応してきたようで、仕事終わりで帰宅してからも活動する元気が残っているので、久しぶりに夕方の時間帯に更新します。いやはや残業のない仕事って素敵。

さて今日は「何をすればいいのか迷うなら」というテーマでお話しします。
自分がやるべきことは何なのか、そんなことを考えてしまうことは誰だってあるでしょう。
やるべきことをやる。為すべきことを為す。
随分かっこいい言葉ですが、なかなかに難しいことであります。
過去の記事で何度もお話ししている正解主義に通じることでもありますが、何かを為すためにやるべきこと、つまりは絶対的な正解というのは、ほとんどの場合存在していないからです。

僕の場合を例にして考えるならば、自主映画監督としてのやるべきことって何でしょうか。作品を作る事でしょうか。なるほど、そうかもしれませんね。でもどんな作品を作る事でしょうか。僕はどんな作品を作るべきなのでしょうか?

短編ですか? 長編ですか?
ジャンルは? 前々作のようにホラーですか? 前作のようなドラマですか? サスペンスですか? ミステリーですか?
予算はいくらで考えるべきですか? 自費でやるべきですか? 資金提供者を探すべきですか? それとも借金すべきですか?
国内映画祭には出品すべきですか? 海外まで考えるべきですか?

ちょっと考えてみるとわかることなんですが、これをやるべきだ! というような絶対的な正解は存在しないのです。だからもし、一時の考えでやるべきだと思えた事でも、実際に行動に起こしている最中に「本当にこれでよかったのだろうか」という感情が芽生えてくるのは、きっと当たり前のことだと思うのですね。

じゃあ結局どうすればいいのか。
結論を言いますと、僕はここ数か月、「すべきではないことをしない」ということを心がけています。

これ、僕個人的には去年あたりから何となく心がけていたことなのですが、二か月程前に読んだ「Think clearly」という本を読んだ際に、納得したというか、腹に落ちた感覚があることなのです。

この本の中では、この考え方を否定神論というものに結び付けて書かれていまして、凄くわかりやすいのでお勧めです。

否定神論、というのはつまり「神とは何か」ということを考えるのはあまりにも難しく、定義することはほぼできないが、「何が神ではないか」ということは考えることができ、定義できるという、宗教者の考え方のようなものなんですね。
さらに、ダビデ像を作ったミケランジェロは、どうやってあんな傑作を作ることができたのだという質問に対してこう答えたとされています。

「とても簡単です。ダビデではないものを、すべて排除したのです」

ちょっとカッコよすぎて、本当にそんな言葉を言ったのかよと疑いたくなりますが、考え方としてはとても興味深いですね。

そんなことを参考にしながら、自分の活動に関して「すべきでないことは何か」と考えると結構簡単にすべきでないことというのは思いつくのです。そうしてすべきでないことをしないことを心掛けていると、自然に僕たちは「やるべきこと」の方向に進めているんだと思えるのですね。

たったひとつの正解を求めて、やるべきことを求めて、それを選び、その道を信じ、努力を重ねていた時期も僕にはありました。
そうすると、その道に暗雲が立ち込めた際に、簡単に心が折れるんです。不思議なもので、道が一本しかないと信じ込んでいると、その道が先に続いていないだけで、人間って身動きできなくなってしまうものなんです。

ですが、すべきではないことをしないことを心掛け続けていれば、その道が行き止まりになったとしても、柔軟に他の方向に向かって歩き続けることができるのだと僕は考えているのですね。

たった一つを見つけるのは難しい。そしてたった一つを信じると、簡単に折れてしまう。
「自分は一体何をしたらいいのだ」と悩むくらいなら「自分は何をしないべきだろうか」と考えたほうが、行きたい方向へ近づけるんじゃないかと考えている今日この頃です。

こういった毎日の記事も、自主映画監督として絶対的にやるべきことだとは思っていません。だからきっと続けられるし、うまくいかなくても受け入れることができるのだと思います。

今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。

それでは皆さん、よい夢を。

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