自己肯定について考える

こんばんは、今日から文章を短くすることを試みてみようと思います。一般的に文章は短くすることの方が難易度があがるので、できるところまでで。

今日は「自己肯定について考える」というお話しです。

昨日は自己否定について考えましたので、何故自己否定をするべきではなく自己肯定をするべきかを導くために、自己肯定というものを掘り下げてみます。

自己肯定とは、現時点での自分自身を認めること。では何故自分を認める必要があるのか。昨日の文章で、成長のために自己否定感を持たなければいけない人が存在することを述べました。
これはつまり、自分自身のダメなところ、短所を改善することが成長だと思い込んでいる可能性があります。

ならば逆に自己肯定を成長に繋げることは、長所を伸ばすという意味になるのでしょうか。

間違ってはいないでしょうが、僕個人としては少し違うと考えます。

何故なら自己肯定は自分を認める作業、つまり認識する作業だからです。言うならば、長所や短所をどうするかという話ではなく、長所も短所も正しく把握することなんだと僕は考えます。

つまり自己肯定とは、自分自身のリソースを正しく把握する作業。
会社に置き換えてみたりするとわかりやすいかもしれません。

自分の会社が今、どんな事業を行っているのか、資金はどれだけあるのか、従業員はどれだけいるのか、従業員にはどんな人がいるのか、社屋はどんなもので、どんな広さで、どんな余裕があるのか、機材は、時間は…
新たな事業を展開するにおいて、これらのリソースを正確に把握しておくことは基本中の基本です。

しかし、これが自分という人間になると、感情が先走り正確な情報を受け入れられず、自己否定に走ることになります。

自己否定を先ほどの会社に当てはめるなら、ライバル会社の事業展開ばかりをみて、どうしてライバル会社と同じ結果を出すことができないのだと嘆いている状態です。

いや、そんなことよりも、あなたの会社がやるべきことがあるでしょうという話です。

「悲観は状態、楽観は意志」という言葉があります。

自己肯定と楽観を、同じような意味で捉えている人は多いです。しかし、必ずしも同じではありません。
肯定しなければ楽観はできず、楽観の意志がなければ肯定もできません。
悲観的に自己否定をしていれば、明確な意志はいりません。なぜならば状態であるから。

では、状態に浸っている者と、意志をもっている者、どちらが成長に続いているのでしょうか。

何より、自分自身のリソースを正確に把握できない者が、何を成長させられるのか、僕には一切思いつかない今日この頃です。

文章を短くしようとすると、何だか単純に淡泊な物言いになっているような気がしますので、もうちょっと頑張りまーす。

今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。


それでは皆さん、よい夢を。

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