「仕事」と「趣味」という言葉の違い

こんばんは、今日は「仕事」と「趣味」という言葉が指すものの違いについてお話しします。

仕事と趣味。この言葉については、僕のような自主映画監督も含め、職業になってはいない何かしらの活動を行っている方にとっては、ちょっと思うところがあるかもしれません。

職業になっていない活動は、世間一般では「趣味」だと言われることが基本です。ですが、活動を行っている本人からすると、ちょっともやっとしたものを感じる方も多いと思います。
何故なら「趣味」という言葉が含んでいる「遊び」や「本気ではない」というニュアンスが、自分自身の活動にそぐわないからです。
趣味? いやいや遊びでやっているわけではないし本気なんですよ、と。

これは単純に、言葉に対する認識の違いなのかもしれません。

一般的には仕事はお金を稼ぐもの、趣味は休日の息抜きや遊びのようなものと認識されているように思いますが、何かの活動を行っている人というのは、自分の活動を「まだ仕事になっていない、十分なお金を得られていない活動」でしかなく、決してただの息抜きではなかったりする、認識の違いがあるのですね。
結局はそんな認識の違いによるだけの、コミュニケーションのずれのようなものなのですが、ここではもう一歩踏み込んで仕事と趣味について考えます。

先程の一般的な考え、仕事はお金を稼ぐ、趣味は遊びというものをちょっと別の言葉で言い換えると、仕事は労力や時間や技術を売って対価を得る行動、趣味は場合によっては対価を支払いつつも、自分自身への何かしらの喜びを得る行動です。
この言葉をさらにクリアにしていくと、仕事は他者の欲求や要望を満たす活動、趣味は自己の欲求や要望を満たす行動と言い表すことができるのではないかと思います。

仕事は他者の欲求を叶える。
趣味は自分の欲求を叶える。

こう考えるとシンプルですが、ここで一つ疑問が浮かびます。

「好きな仕事をして成功している人はどうなるんだ?」

これも実はシンプルに、両方の欲求が重なるような行動をしている、と言えるのですね。

過去に何度かお話ししたこともありますが、「自己と社会(他者)の欲求の交差点」というものです。

自分の欲求を貫くだけでは社会の欲求は叶えられない。
社会の欲求を貫くだけでは自分の欲求は叶えられない。

その二つの相反するものが、交差している部分を探していくことが「好きなことを仕事にする」行為であると僕は思っています。

自分が好きなことを好きなだけして、それを多くの他者にも認めてもらいたいという気持ちは、厳しい言葉ですが、だだをこねる子供の発想と何ら変わりありません。

勿論世の中には好きなことをただ貫いただけで世間から認められた人もいるでしょう。それらの人々は天才か、もしくはたまたま交差点に立っていただけの人です。この言い方は少し極端かもしれませんが。

小難しく聞こえるかもしれませんが、自己と他者の欲求交差点を探す行為というのは、人間同士のコミュニケーションの基本だとも言えます。相手のことを想像して考える行為です。それくらい当たり前の行為なんです。

ですが、こと自分の活動については、どうにも自分の好きを貫くことだけを優先してしまいがちなものなのですね。

こんなことを書いている僕ですが、僕自身は、自分の作りたい作品自体と社会の交差点を未だに見つけられずにいます。
何より僕は、自分のクリエイション、コンテンツ自体を社会の欲求に寄せていく気持ちは全くないのですね。
ですので、マネタイズの方法を考え直したり、コンテンツ外の部分でどう交差点を探るかを考えたりをこの一年ぐらいコツコツ進めているのですが、まぁ失敗に失敗を積み重ねながら今後も楽しくやっていきたいなと考えている今日この頃です。

自分の利益を得るためには、誰かの利益にならなきゃいけない。

それでは皆さん、よい夢を。

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