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作品は現実を追い求めるものではない

こんばんは、今日はちょっとだけ作品づくりについてお話しします。

「作品は現実を追い求めるものではない」というテーマです。

このテーマですとあまりにも範囲が広いお話しになってしまうのですが、今日は本当に少しだけにしておきたいと思っています。

まぁこういったことは、ほとんどのクリエイターの方は持ち前のセンスで感覚的に理解していることなのかもしれませんが、最近少し気になることがあったので整理しておこうと思いました。

一言で言えば、作中では現実ではありえないような表現が含まれるということです。
何を当たり前のことを、と思われる方もいらっしゃるかもしれませんがもう少しお聞きいただきたい。
つまりこれは、「リアルかリアリティか」というお話しなのですね。現実はどこまでもリアル。でも作品に求められるのはリアリティ。この違い、お判りいただけますでしょうか?

大袈裟な例え話ですが、例えばここに本物のフェラーリがあったとします。車に興味のない人でも、目の前に何千万円もの圧倒的な存在感を放つフェラーリを見たら、多くの人は「おぉ、すげぇ」という感情を抱くことも多いかと思います。そして一方、ここにとてつもなく精工に作られたフェラーリの小さな模型があったとします。手のひらに乗るようなサイズなのに、本物と寸分狂わぬ細かな部分まで作りこまれている。その精工さと緻密さに「すげぇ、リアルだなー」という感情を抱く人も多い。
この例で何が言いたいかと言いますと、想像してもらえれば簡単なのですが、本物のフェラーリを目の前にして「うわーこのフェラーリ、リアルだなー!」という感情を抱く人はいません。いやもしかしたらいるかもしれませんが、それは稀でしょう。
ですが、模型のフェラーリを目にしたときに抱く「リアルだなー。リアリティが凄いなー」という感情、これが人々が作品に対して感じる感情なのです。
つまり、作品を観ている時点で観客は、「偽物を見ている」ことを認識しているのです。当たり前かもしれませんが、作品を現実と同じようにしてしまうことと、現実に近づけリアリティを持たせることは似て非なるものです。

ですから、作品の演出上、現実には起こりえないことが作中で起こっていても、現実では起こりえないけれども、何故そう表現するべきなのかの理屈が存在していれば、それこそが作品としての表現になると僕は思っているのです。

僕の場合ですと、僕は監督作「あなたに会えたらよかった」の終盤のシーンで天気をガラリと変えています。
これはもちろん撮影スケジュールが日をまたいで確保できていたことと、天気に恵まれた運といってもいい偶然性も関わってくるのですが、実際には撮影した翌日に同じシーンを天気の様子が二日目の方がいいからという理由で撮りなおしていたりします。

現実的な視点からみれば、完全なる曇り空から十数秒後に透き通るような青空になることはありえません。しかしながらこの物語にはそうなるべき理屈が存在しているので、その変化を観客の皆さんはきっと違和感なく受け入れてくれたと思うのです。(一応数秒間のブリッジのようなものは意識して作りこんでいますが…)

裏用メイン候補1

参考画像として一枚目が曇り空、二枚目が青空のシーンです。

裏用メイン候補2

これは映画として、作品としてのリアリティとしてできる表現です。どこまでも現実を求めるならば、これは許されません。

かといって現実を無視しすぎて、リアリティを獲得できずに、ただのデタラメになったら元も子もないよねと考えている今日この頃です。

監督作「あなたに会えたらよかった」は現在、Amazon Prime Videoにてご覧いただけます。よろしければ是非(宣伝)


僕は今月から始めた仕事がまだまだ大変で、毎日クタクタになっているので、もう少し仕事に身体が慣れたら次作に関してようやく具体的に動き出せるような気がしているような、そんな日々を過ごしています。

映画作りたいー。

それでは皆さん、よい夢を。

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