どうして食っていかなければならないのか

こんばんは、栗山陽輔です。
今日は「どうして食っていかなければならないのか」というテーマでお話ししたいと思います。

好きなことで食べていく。
そんな言葉は今も昔もそこらじゅうで聞くことができます。
もちろん人間は食べていかなければいけません。生きていかねばならない。それは現代社会ではお金を稼げなければならないと言い換えることができます。

好きなことで食べていきたい。好きなことを職業にしたい。
それはつまり最低限、自分という一人の人間が生活していけるだけの収入を得ていきたいという意味ですね。

僕自身若い頃、役者をやっていた時なんかは、こういった思いが特に大きくて、役者で食っていきたい願望の塊のような人間だったのでした。そしてもちろん個人差もありますが、同じような思いを抱いている方々が周りにたくさんいらっしゃったように思います。
そしてこれは僕だけが感じていたことかもしれませんが、役者同士の中でなんだか変な線引きがあるようにも感じていました。
食っていけている役者か、そうではない役者か。
はたまた事務所に所属している役者か、フリーの役者か。
僕はずっとフリーだったので、たまに現場が同じになった事務所に所属している若い役者に「○○所属の××です。え、フリーなんですか? なんで事務所探さないんですか?」みたいなことを言われたことが何回かあって、もやもやしたことを覚えてます。
今考えるとあれって単なるマウンティングにすぎなかったなと思うのですが、そんななんだかそういうしょうもない意地の張り合いみたいなものは確かに存在していたとは思うのです。

それで結局何が言いたいのかと言いますと、好きなことをして食っていきたいっていう思いは、ただ単に意地張ってるだけなんじゃないのかっと今となっては思う部分もあるのです。
もちろん、好きなことで食っていきたいという思いを抱いている人すべてがそうだと決めつけているわけではないですよ。誤解なきよう。
ただまぁ、例えばタレントだとか芸能人になりたいと思っている方の動機の中に「過去に自分を馬鹿にしたやつを見返したい」的な思いを抱いているかたも少なからずいて、それはつまりドヤりたい、マウントを取りたいみたいな感情だったりするのかなと思っています。

そして正直なところ僕は目的がドヤりたいでも別にいいと思っているのです。ただそこをごまかして、「食っていけてこそプロだから! プロとして素晴らしい仕事がしたいから」とか、なんだかちょっと見栄を張ったような目的を掲げているようだと、それはちょっと違うんじゃないかと思うんですね。
何故違うかというと、目的に対する具体的な行動がなくなってしまうからです。正確には行動の具体性が変わってしまうからです。

その分野である一定以上の収入を得るための具体的な行動と、プロとして素晴らしい仕事をしていくというような漠然とした目的を実現するための具体的な行動というのは、確実に変わってきます。
前者は収入とその手段が目的ですが、後者は結果です。そのために予算を作らなければいけないとか、行動が変わってくるはずなんですよね。

夢なんて人それぞれですし、どんな思いを抱いていてもいいと思うのですが、それぞれにはそれぞれの方法を具体的に考えていかないと望む結果を得ることは難しいのではないかなと考えている今日この頃です。

今日の文章はもうちょっと整理したい気もするので、また考え直してみます。

今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。

それでは皆さん、よい夢を。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?