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ジブリ映画が苦手だったわけ

スタジオジブリの往年の名作が映画館で上映されています。
僕は先日「もののけ姫」を観に行って、そのスケールや作品の厚みに圧倒されてしまいました。ですが僕は正直なところ、ジブリ作品というのはどちらかといえば苦手だったのです。

こんにちは、栗山陽輔です。今日は「ジブリ映画が苦手だったわけ」というお話をさせていただきます。

まず初めに断っておくと、今の僕はジブリが好きです。というよりも、本当のところは昔から好きだったと思います。ですが苦手だった。正確に言えば苦手意識のようなものがあった。そしてその苦手意識は、ジブリ映画という作品そのものに対する感情ではなかったのだと、今になって考えてみればわかります。

つまりどういうことかと言うと、ジブリ映画における世間の風潮、その世論のようなものが苦手だったのですね。
いや、これだとちょっと対象が広くなりすぎていますね。もっと砕けたぶっちゃけた言い方をすると「映画の感想に対してマウントをとってくる奴」が苦手だったのです。
つまりはドヤってくる人達のことです。

具体的に言いますと、例えばナウシカを見た子供の頃の僕が「面白かった!」と言った時に、ちょっと年上の誰かが「お前、あの作品の面白さを本当に理解できているのか?」という感じでどこかから見下してきて、馬鹿にしてくる感じです。「あの作品にはこんな深い意味があって、こんなことが描かれているんだそんなこともわかっていないのに、わかったこというな」という態度で関わってくる人たちのことです。
風の谷のナウシカに関しては「映画を観ただけであの作品をわかったつもりになってほしくない。せめてマンガを全部読んでから言え」とかいう人も実際にたくさんいらっしゃいます。何人も何人も会ったことがあります。

ジブリ映画って、子供も大衆も楽しめるように作りこまれているし、同時に深いテーマ性も内包されていたりするので、映画を深く理解しようとする人たちにも響くんですよね。

そして映画好きの中でも一部の方々ですが、「深い部分を理解できている俺は凄い」って思いたくて周りを見下したくなってしまう人もいらっしゃるのです。そういう人たちからするとジブリ映画って格好の的なんですよ。だって子供でも楽しめるように作ってあるんだから。
そういった感じで、ライトに楽しんでいる人たちにマウントを取りやすいんでしょうね。マウンティングってやつです。

僕の場合が特殊だったのかもしれませんが、そういった方々が結構周りにいらっしゃったことが多かったので、ジブリ映画を素直に楽しむことができなくなっていたと思います。周りの人が納得するような感想を言わなきゃ感のようなものがあったと思うのです。面白くなかったなんて絶対に言えない。面白いという感想を持たなければいけない風潮みたいなものを、僕だけかもしれませんが感じてしまっていたのです。
そんなこんなで、数年前までジブリ映画に苦手意識がありました。もう今はありませんがね。素直に楽しんでいます。

こういった「ちょっと知見がある分野で、知見のない人を見下してしまう風潮」のようなものって、多くはないにしろ、悲しいかな、確かに存在しています。

例えばファッション業界とかで、ちょっと知見のあるオシャレな人って、そうでない人を馬鹿にしてしまうことって結構ありますよね。直接的ではないにしても、好きで着ている服に対して「なんでこれとこれで合わしたの? ここは絶対あぁ合わせるべきじゃん!」って聞いてもないのに意見してきたりする人たちです。こうやってどうしてもマウントを取りに行ってしまう人っています。

どうして人はマウントを取りに行ってしまうんでしょうか。
簡単です。自信がないからです。

自信がないから、自分が正しいと思っていることや行っていることとは違う考え方や行動をしている人のことを否定せずにはいられないのです。
そうでないと、自分が間違っているように感じてしまうから。自分の間違いを認めることになってしまうと思い込んでいるからです。

こんなことを書いている僕自身、過去にちょっとした得意分野や知見のあることで、そうではない人を見下しに行ってしまった経験がものすごくあって、心当たりがありすぎるので、今も気を付けていますし、今後も気を付けていきたいと考えている今日この頃です。

こういう風潮って、単純に文化の衰退に繋がるので、辞めたほうがいいよね。

自分の得意分野で他人に劣等感を与えることはよいことではないのです。こうやって言うと当たり前ですよね。本当に気を付けていきたいです。

それでは皆さん、よい夢を。

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